ドーヴィル大賞典ーG2(芝2700)
父は英国ダービー馬、母は米4歳・古牝馬チャンピオンという 良血を買われて2歳時に社台ファームの所有馬となり、仏国 で8戦2勝。重賞勝ちは上記のG2のみだが、仏ダービーや 凱旋門賞でも差のない競馬をした。
種牡馬としては、ライスシャワー、シャダイカグラなど クラシックホースを輩出して大成功。 93年ついに大種牡馬ノーザンテーストを押さえ、待望のリーディング サイヤーに輝く。
・参考文献
競馬名人読本 宝島社
98年10月
当初の予定通り、9月26日中山、芝2000mに出走。レースはスタート後、控えて中断の内側を追走。ペースがスローだった事からダンゴ状態で直線へ向くと前が壁になり、なかなか抜け出す事ができず、ラスト50mあたりでようやくさばくも、結果は脚を残しての3着だった。レース後の疲れも無く、10月11日場所を東京に変え、芝2200mに出走。レースはスタート後、控えて中団よりやや後ろからの競馬。仕掛けをギリギリまで我慢し、直線に向いてから追い出すと馬群を割って出てきたが、ジリジリとしか伸びず結果は残念ながら4着だった。次は11月1日東京・芝2000mを予定している。
以上愛馬レポート10月より
98年9月
前走は人気を背負っていただけに動くに動けず、まんまと逃げ切られてしまい惜しい2着だった。その後も順調に調整され9月6日新潟、春日山特別・芝1800mに出走。レースはスタート後、控えて中団の内を追走。勝負どころで包まれる不利が有り外に出すことができず、直線に向きばらけると馬群を割り一旦は先頭へ立ったが、外から伸びてきた馬に頭差交されてしまい惜しくも2着だった。この馬なりに良く走っているが、今回は展開が向かなかった。次走は中山開催を予定している。
以上愛馬レポート9月より
98年8月
福島開催を全休し、新潟開催を目標にじっくり調整され、8月2日新潟尖閣湾特別・芝2000mに出走。レースはスタート後、内の中団を追走。終始、内に閉じ込められなかなか外へ出せず、直線でもジリジリとしか伸びずに結果は4着。当日から降り出した雨の影響で極端に馬場は悪化したことが微妙に影響したようだ。その後、中1週で万代特別・芝2200mに出走。レースはスタート直後控えて中団を追走。逃げていた馬が後続を大きく引き離して逃げている事から向正面あたりから徐々にしかけ、直線で捕えに行ったが、3馬身差に詰め寄るのが一杯で惜しくも2着だった。
以上愛馬レポート8月より
98年7月
前走の江ノ島特別は不良馬場にも関わらず安定した走りを見せ4着だった。その後、次走へ向けて調整していたところ、左前脚に不安が出たことから、軽めに乗り込まれていたが、特に大事には至らなかった。矢野師は「900万に入っても堅実に走っており、このクラスを勝ち上がるのも時間の問題でしょう。福島開催も考えましたが、次の新潟でクラスも下がるので無理せず待つことにしました。予定としては2週目か3週目を目標にしています」とのこと。
以上愛馬レポート7月より
98年6月
休み明けを快勝し、続く24日の昇級戦リバーテムズ賞、芝1800mは中団追走も、ペースが遅く直線でも前が開かずに、結果は5着だった。その後も順調に調整され、6月14日東京、江ノ島特別芝2000mに出走。レースはスタート後、控えて中断を追走。ぎりぎりまで仕掛けを我慢し、直線で追い出すとジリジリ差を詰めるも、前を捕らえることはできず結果は4着だった。矢野師は「このウマなりによく走っていますが。今一つ詰めが甘いですね。今後も状態を見ながら使っていく予定です。」とのこと。
以上愛馬レポート6月より
98年5月
中間のアクシデントの影響もなく、復帰戦へ向け順調に調整され、5月2日東京・芝1600mに出走。久々のレースであったが、馬体に太め感はなくほぼ仕上がっていた。レースはスタート後控えて5番手の内を追走。勝負処でも我慢し直線で追い出すとすばやく反応し、馬群を割り抜け出すとそのまま先頭でゴール板を駆け抜けた。矢野師は「8分ぐらいの仕上がりでしたが、強い内容で勝ってくれました。ようやく馬に身が入り、本格化したようですね」とのこと。次走は24日東京、リバーテムズ賞・芝1800mに出走。中団追走から直線よく脚を伸ばしたが、届かず5着だった。
以上愛馬レポート5月より
98年4月
トレセンへ帰厩後は連日坂路にて乗り込まれ、状態も徐々に上向いてきた。4月5日から時計を出し始め、復帰せんへ向けて急ピッチに調整が進められている。矢野師は「中間に左前脚のクモズレを起こしましたが、幸いに大事にいたらず順調に進んでいます。追いきりでも週を追うごとに動きに素軽さがでてきて徐々に気合乗りがよくなってきました。予定としては2回東京開催を目標にしています。」とのこと。
以上愛馬レポート4月より
98年3月
トレセン近辺の内藤牧場にて順調に調教が進み、厩舎の馬房調整もついた事から2月26日にトレセンに戻ってきた。翌日から元気に馬房入りし、現在は坂路3本を順調に乗り込まれている。矢野師は「ここまで順調に調教が進んでいます。まだ早い時計こそ出していませんが、徐々に体調は上向いてきています。500万クラスにいる馬ではないので、今年は期待以上の走りを見せてほしいですね。」とのこと。
以上愛馬レポート3月より
98年2月
引き続き、トレセン近辺の内藤牧場にて調整中。年明けからウォーキングマシーンで運動を再開してからは状態がいいことからキャンター1600mを乗り始め、現在は2400mまで延ばしている。場長は「ここまで順調に来ています。状態は変わらず来ているので、トレセンに戻る日までじっくり調整していきます。
以上愛馬レポート2月より
98年1月
前走後、ここまで使い詰めで来ていることから12月18日にトレセン近辺の内藤牧場へ放牧に出された。その後はしばらくパドック放牧され年明けからウォーキングマシーンで50分間、常歩で調整されている。場長は「特に悪いところもなく馬は元気いっぱいです。現在は運動を控えウォーキングマシーンで調整していますが、今後は状態を見て乗り運動を始めていく予定です。」とのこと。
以上愛馬レポート1月より
97年12月
前走後、左前脚を捻挫してしまい1週間ほど馬場入りを控え、運動のみのメニューも その後は急ピッチで調整され12月13日中京・尾頭橋特別・芝1800mに出走。 レースは積極的な競馬で早め、先頭に立つも追ってからジリジリとしか 伸びず結果は5着だった。矢野師は「中間、順調さを欠いた割には よく頑張ってくれました。ここまで使い詰めだったので、一度放牧に出し 来年に備えます。」とのこと。
以上愛馬レポート12月より
97年11月
前走は逃げ馬にうまく乗られ、上がりの競馬になってしまい 決め手の差で結果は4着。レースの後の疲れもなく、11月8日は 芝1800mに出走。レースはスタート直後、控えて中段を追走。 直線に向いてから追い出すもこの馬なりに伸びてはいるものの 後一歩足りず、結果は5着だった。レース後、左前足の歩様が 乱れたことからレントゲンを撮ったが、幸い骨折ではなく 捻挫との診断結果だった。しばらくは足元の状態を見ながら 調整していく。
以上愛馬レポート11月より
97年10月
ここまで、休みなく使っているが、疲れも見せず元気いっぱい。 9月28日中山・芝2200mに出走。レースは好位追走から直線でこの馬なりに伸びて はいたものの切れる脚がないため結果は3着だった。その後もじっくり調整され 10月19日東京・芝2300mに出走。レースはスタート後、好位の外目を追走 。3〜4コーナあたりから徐々に仕掛け直線に向き追い出したが 、この馬なりに伸びては来ているが逃げ馬に有利な展開になってしまい、 結果は4着だった。相変わらずズブいところがあり歯がゆいレースが続いている。
以上愛馬レポート10月より
97年9月
万代特別は展開のアヤで惜しくも3着。レース後の疲れもないことから 8月30日・芝2000mに出走。レースはいい手応えで直線向くも 直線で追ってからはジリジリとしか伸びず、結果は6着だった。 矢野師は「このクラスはすぐに勝てる力は持っていますが、 切れる脚がないぶん展開の助けも必要ですね」とのこと。 ここまで使い詰めできているため大きな上積みこそないが、 いい状態をキープしている。
以上愛馬レポート9月より
97年8月
当初の予定通り、7月19日新潟・芝1800mに出走。レースはこれまでとうって変わって 後方からの競馬。仕掛けをじっくり待ち、4コーナーから直線 勝負にかけるとグングン伸びるも逃げた馬を交わせず2着が精一杯だった。 レース後の疲れもなく8月9日、万代特別・芝2200mに出走。 今回は長距離のレースともあって早め早めの競馬。終始内の経済コースを 通り直線で3番手まで上がるも前半がスローだったため前回同様、 前をとらえることはできず結果は3着だった。 この内容ならこのクラスを勝ち上がるのも時間の問題であろう。
以上愛馬レポート8月より
97年7月
前回のレポートでお伝えしたように、予定通り6月21日福島、アマリリス賞 ・芝2000mに出走。レースはスタートで他馬に寄られてしまい後方からの競馬。 ペースがスローなことから向こう正面で脚を使ってしまい、直線で伸びを 欠いて結局10着だった。「具合が良かっただけに残念な結果になって しまいました。ちょっとチグハグなレース振りでしたね。 改めて次走に期待します」と矢野師。その後もじっくり調整され、 7月19,20日の新潟開催を予定している。
以上 愛馬レポート7月より
97年6月
3戦目にして待望の初勝利を上げたが、厩舎でも期待していた 1頭だけあって関係者の喜びもひとしおだ。 「ソエの状態も良くなり、追いきりでいっぱいに終えたことも 良かったですね。それに具合も本当に良かったのであれぐらい走っても おかしくない馬ですよ。」と矢野師。レース後の疲れもなく5月31日 東京、ロベリア賞・芝1800mに出走。レースは好位追走から直線で この馬なりに伸びていたが、決め手の差が出てしまい結果は5着だった。 昇級初戦ながらも内容の濃いレース振りでこのクラスでのメドも立った。 自走は6月21日福島、アマリリス賞・芝2000mを予定している。
以上 愛馬レポート6月より
97年5月
デビュー戦こそ8分の仕上がりのため10着と敗れてしまった。レース後、 ソエがでてしまい、予定していたレースを回避することになったが、 坂路にてじっくり調整され4月26日東京・ダート1600mに出走。レースは 好スタート後、積極的に前へ行き、4頭の先行争い。 かなり競り合いが激しくなって、先行馬にはきつい流れで直線に向き、 結局バテてしまい、結果は16着だった。レース後ソエの状態が 心配されたが、徐々に良くなってきたことから5月18日東京・ 芝1800mに出走。レースは道中、中団を追走し直線であざやかに抜け出し、 3戦目にして待望の初勝利を上げた。
以上 愛馬レポート5月より
97年4月
入厩後も順調に調整され予定通り、3回中山でデビューすることになった。 3月30日中山、芝1600mに出走。レースは好位の6番手を追走。 3〜4コーナー当たりで後方まで下がってしまったが、直線に向いてから ジリジリと差を詰めるも10着ゴール。矢野師は「仕上がりは8分 ぐらいだったのでこの結果も仕方ありませんね。 馬場状態も悪く、これを叩いて次は良くなってくるでしょう。」 とのこと。続く4月12日のレースを予定していたが、追い切り後、 ソエが出てしまったため大事を取り、出走を取りやめた。 今後は足元の状態を見ながら予定を立てていく。
以上 愛馬レポート4月より
97年3月
トレセンへの入厩後も馬場と坂路を併用しながら乗り込まれ、併せて ゲート練習を行う毎日。だいぶ動きも素軽くなってきたことから 2月20日に坂路にて初時計を出し、28日にはゲート試験を受け 見事、1回で合格した。ここまでについて矢野師は 「現在は坂路を中心に追いきりを行っています。 動きは日を追うごとに良くなっておりゲートの出も早いです。 予定通り3回中山でデビューできそうです」とのこと。
以上 愛馬レポート3月より
97年2月
トレセン近辺の内藤牧場にて順調に調教も進んだことから1月24日に美浦・矢野厩舎へへ入厩。環境の変化にも動じることなく翌日から北馬場にて 調教開始。現在は北馬場と坂路を併用しながら乗り込み、ゲート練習を入念に行っている。矢野師は「馬体もいい頃の体つきになってきました。 気性面も素直で、おとなしいぐらいです。ゲート練習もピッチをあげて 進めていますが、まだ、出る方が今一つですね。順調にいけば 3回中山あたりでデビューできるでしょう」とのことだった。
以上 愛馬レポート2月より
2月26日更新
97年1月
トレセン近辺の内藤牧場にて調整中。 連日、併せ馬にてダグ・キャンター併せて5400mを 順調に乗り込んでいる。引き続き、気合い乗りもよく、 余裕のあった馬体も徐々に絞れ、引き締まってきた。 本馬を管理する調教師も頻繁に状態をチェックしに行かれ、2月下 旬の入厩が決定した。
以上 愛馬レポート1月より
1月24日更新
96年12月
引き続き、トレセン近辺の内藤牧場にて連日、常足・ダグ併せて3000m を乗り込み,12/2からキャンターを乗り始めた。 場長は「先日,撮影したレントゲンの結果もよかったためキャンターを 乗り始めました。普段はおとなしい馬ですが,調教では引っかかるぐらいの 気合いを見せています。まだ、 軽めの内容ですが素質の高い馬なのでじっくりと乗り込んでいく予定です。」 とのこと。
以上 愛馬レポート12月より
96年11月
骨折箇所も大分、良くなりノーティーホースジムの屋内馬場にて軽めの調教を 行ってきたが、本馬を管理する矢野師の指示で10月27日にトレセン 近辺の内藤牧場へ移動。長距離輸送の疲れもなく、環境の変化にもすぐに 慣れたようだ。翌日から馬場入りし、現在は常足・ダグあわせて 4000mを順調に乗り込んでいる。場長は「まだ、骨折箇所に骨瘤が 残っていますが,徐々に小さくなってきているので近いうちに レントゲンを撮る予定です。結果が良ければキャンターをはじめていきます 」とのこと。
以上 愛馬レポート11月より
11月25日更新
96年10月
9月下旬に再度レントゲンを撮った結果,骨折の箇所はほぼ直ってきたものの ,まだ完治とは言えない。獣医と相談した上で、10月は屋内馬場を 常歩1時間ーダグ1200mのメニューをくんでいる。 「さわっても痛がらないし,乗り運動で患部をかばう様子もありません。 休んだわりには馬体が太くならなかったこともあり,動きも重たくなく, 長時間乗っても疲れは見えない。いまのところ順調に回復に向かってますね。」 と騎乗スタッフ。調教を継続したことにより,いくらか筋肉の張りも戻ってきた。
以上 愛馬レポート10月より
10月23日更新 96年9月
ノーティホースジム本場で休養していたが、8月下旬からパドックにだすようになり 、9月には屋内馬場で常足を乗り始めている。 「8月末に再度レントゲンを撮りましたが、骨折による亀裂も目立たなくなりました 。腫れは残っていますが、ほぼ固まってきているので心配は要りません。 しばらくは常足を中心に乗り込んでいきますが、状態次第で少しづつペースを あげていく予定です。足下を気にする様子も見られないので、調教は 順調に進むと思いますよ」と育成スタッフ。
以上 愛馬レポート9月より
9月21日更新 96年8月
7月も順調に乗り込まれていたが,右前脚の管骨内側が腫れっぽくなってきた。 7月18日にノーティーホースジム本場に戻し,休養に入っている。 ビッコもひかず,当初は骨瘤との診断だった。しかし、再度レントゲンを撮った結果, 管骨に軽度の骨折を患っていることが判明。全治3カ月の見込み。 「この骨折は疲労から来たものでしょう。しばらく間隔はあきますが、 慌てない方針でいます。十分に乗り込まれており,身体はできていますからね」 と育成スッタフ。
以上 愛馬レポート8月より
96年7月
7月は屋内ダートをキャンター2,400m-直線芝コース1,000mを 1本こなしている。普段おとなしいが,調教になるとガラリ一変。 気合いのりは十分。厚みを増した馬体もさらに貫禄が出てきた。 動きには重量感が漂い,息づかいも終始スムーズ。 「最近は,芝でも走らせています。動きはとても軽いですね。ダートの時より も動きがスムーズだし,馬も気分良く走っているようです。 気性面も成長しました。以前のようにむやみに行きたがることも なくなりましたよ」と騎乗スタッフ。
以上 愛馬レポート7月より
96年6月
「かなり乗り込んできましたが、体に疲れは見えません。 これも徐々に調教を強めてきたことが、馬への負担を少なくしたのでしょう。 今後も今の状態を維持しながら、慌てずじっくり仕上げていこうと思っています。」 と育成スタッフ。6月は屋内ダートを軽めのキャンターで2,000Mから 直線ウッド1,000Mを1ハロン18秒ペースで1本のメニューが中心となり、 週に2日はペースを強めて行っている。相変わらず抑えきれないくらいの 手応えで意欲満々の動きを見せていた。
以上 愛馬レポート6月より
96年5月
5月は直線コースを中心に調教を進め,ダグ1000m-1ハロン18秒 ペースのキャンター1000m*2本のメニュー。見るからに力強そうな 太い首を下げ,ハミをしっかりとって意欲的な走り。 トモのキックにもしっかりとバネがきいており,一完歩がよくのびている スピード感のあるフットワークを見せていた。「加速するに従い ,馬が行きたがる様になりますね。でも、まだ抑え目に走らせているし, 今はこれくらいの手応えがあった方がいいと思いますよ。」と騎乗スタッフ。
以上 愛馬レポート5月より
96年4月
走る意欲は旺盛ですね。馬群の後ろから追走させると、 他馬を追い抜こうと必死になって走るんです。割と 行きたがる方だけど、引っかかって行きすぎることはなく、先頭に立つと 折り合いがつきます。併せ馬をさせても気の強い面を出しますね。 ちょっとイレ込みがきついような気もしますが、若馬はこれくらいで ちょうどいいんじゃないですか」と育成スタッフ。 4月は、ダク1200m・キャンター2500mをこなしており、週に2日は ウッドで20秒前後の時計を出している。4月12日現在の 馬体重は装鞍時で485キロ。
以上 愛馬レポート4月より
96年3月
3月は、JRA日高育成場の1周600mのダートコースでの調教が 中心で、常足20分−ダグ1,200m−ハロン25秒のキャンター2,000mー常足20分 のメニュー。日によっては直線ウッドで強めのキャンターもこなす。 「だいぶ体はできてきました。動きも日に日に強くなっています。今後は 調教を強めていくので、これからが正念場ですね。」と育成スタッフ。 乗り込むごとに馬体は絞れ、胴まわりが引き締まり、以前より も胴伸びのある馬体に見えた。トモにも調教の成果がはっきりと現れていた。
以上 愛馬レポート3月より
96年2月
ノーティホースジムでの調教は順調に進み、1月25日からは JRA日高育成場に隣接する分厩に移動し、同育成場での滞在調教を開始した。 厩舎から馬を歩かせて移動するが、様々な環境に触れることは 精神面の強化ににもつながっている。調教は屋内ウッドチップの直線1000m コースで、ダク−軽めのキャンター−ダク−常歩を各1000mずつ乗り込ん でいる馬体は以前よりもふっくらして丸みを帯びて、リアルシャダイ産駒らしい 体型になってきた。
以上愛馬レポート2月分より
96年1月
1月になって、調教メニューは800M馬場を ダグで2周半、キャンターを半周と調教良を少なめにしている。 少し楽をさせているせいもあり、全体的に余裕が見られるが、 カイ食いが非常によいそうなので無理もない。 最近では、調教でかん性のきつそうな面などもみられ、 動きにも迫力が感じられる。できれば1月末頃には、JRA日高育成場 で短期の滞在調教を行っていきたいとのことである。 以上 愛馬レポート1月分より
95年12月
調教は順調に進み11月下旬からはのり運動を開始している。 途中、熱発で1〜2日調教を休んだこともあったが、 今では元気を取り戻している。 馬体はふっくらしており毛づやもよい。調教メニューは屋内運動場を使用して 、常歩800M・タグ2,000M・軽めのキャンター800Mを 乗られている。調教中は相変わらず利口な馬で、騎乗者の指示に 素直に応じて物覚えが早い。 走り方に無駄が無く非常にスムーズに見える。
97年も後1日となった。そこで今年1年を振り返ってみようと思う。
詳しいレース結果はこちら
今年の3月30日無事に中山競馬場でデビュー。このときはデビュー戦とあって
中山まで応援に行ったのだが、馬の出来が良くなく10着。涙をのんだ。
3戦目にして初勝利を上げるわけだが、関東所属であり私の住んでいるところでは
リアルタイムで結果を知ることができない上、未勝利戦とあっては
事前にレースに出るという情報も入りにくいと言うこともあって、
結果をML聞くまで知らないと言う有様であった。
レースの模様は谷川さんにビデオを撮ってもらえたので 観戦することができたが、もしこれが見られなかったら一生後悔することであろう。 馬券も買えていればの万馬券だったのが何とも惜しい。 その後、夏競馬となり福島・新潟と転戦するわけだがレース内容がいまいちで 決め手に欠けるレースが続いた。現在に至るまでその傾向は変わっていない。 しかし、4歳戦で同じローテーションで戦ってきた馬の中には菊花賞に出走した ショウナンアクティを始め上のクラスで活躍している馬が多い。 いつかはその馬と肩を並べて欲しいとおもいつつ97年が終わる。 97年12月30日更新
97年2月に書いたもの
97年1月末に入厩が決まってから約2週間後、馬の名前が募集名であった エンジェル15から競走馬名の「ターフジーニアス」になった。
ターファイトクラブでは1口につき3つまで馬に付けたい名前を 応募することができ、私も3つの名前を応募しました。 僕が書いた名前は「ターフシリウス」「ターフジーニアス」「ターフ マキバオー」であったと記憶している。 この3つのなかで一番お気に入りは「ターフシリウス」である。 そのため、書いた記憶がしっかりと残っていた。また、 テレビアニメ(漫画)から取ったつもりはないのだが 「ターフマキバオー」というのも頭の中に残っていた。 しかし、「ターフジーニアス」という名前だけは頭の中に残っていなかった。 それだけインパクトのない名前だったのかも知れない。
ところが、先日クラブから小包みが送られてきて、中を開けてみると 「おめでとうございます、あなたが名付け親です」と書かれた紙と 記念品が入っていました。はじめ何のことだか解らなかったが、 冷静になって考えてみると自分の応募した名前が採用されたのだ と実感できるようになった。
今後、競馬予想紙やスポーツ新聞、クラブの会報など この名前が載るときには自分の付けた名前なんだという実感と 責任感を感じることであろう。
96年12月に書いたもの
今年1年を振り返って。プライベートでは短い一年だったけれども, こと、この馬に関しては長い一年であった。順調に来ていたと思った矢先 剥離骨折で全治3か月の診断!夏から秋,冬と,治療。3歳でデビューを 果たして欲しいと願っていただけに,この事態はショックであった。 幸運にも競走馬としての生命がたたれてしまったわけではないので それが救いかも知れない。現在は調教もつまれ入厩できる状況であるらしい。 今は競走馬として一日も早いデビューを期待している。
12月25日更新
8月に書いたもの
夏競馬も始まり、新馬戦が始まっているこの頃、 私も、我が愛馬のデビューを心待ちに待っていた。しかし、 大ショック! 骨折が判明、クラブからのレポートでは順調に来ていたことが 分かるだけに、いたい骨折である。競走馬としてやっていけなくなったわけではないと 思うので、その点だけが救いのように思える。早く骨折を完治し、デビューして ターフを駆け抜ける姿をみたいものである。
6月に書いたもの
やっとデビューの年になった、まだ馬名すら決まっていないのが
残念である。もうすぐ新馬戦がスタートし、先に名前の
登録してある同じクラブの馬が続々デビューしていくことでしょう。
早くデビューしてくれー。
ダービースクウェアのメーリングリスト
に登録している方々で一口馬主
の馬も確実に、デビューの準備が進んでいるようです。
ライバルになるわけですが、どの馬も実力が出し切れるように
がんばって欲しいです。
関東で走るので、応援に行くのにお金と時間がかかりますが
応援に行きます!。
3月に書いたもの
私のいるところは中京競馬場から自動車で 5〜10分以内(道がすいていれば)にあるという好条件である。 (宮杯(高松宮杯、今年からG1)の日などは 辺りの道路が大渋滞になり動きません。)
なのに、関西の栗東ではなく美浦に入舎する馬を好きになってしまうなんて・・・。 デビューはいつになるか分かりませんが関東まで応援に行きたいです。
リアルシャダイ産駒にしたのはDSで生産した馬で強かったのが
この産駒が多く、妙に好きだという単純な気持ちからです。
あと、リンクしている方々の中にも今年デビューのライバル馬
が何頭いますが、うちの馬にも是非がんばってもらいたいです。