「参姑神」文字庚申塔
珍しいでしょう。石仏始めたばかりの頃、何だか解らなくて(そもそも字が読めなかった。(~_~;))
写真だけ撮って銘文も読めず、場所のメモだけ執っておいたのです。

二月の談話室の時、yamagutiさんから写真コピー見せられ「MURAhどん、場所知ってる?」
所在地が杉戸町下高野とだけ載っています。yamagutiさん何回か出陣したらしいのですが、どうしても見つからず空振りだったとのコト。

MURAhどんが地元調査中なのを知っているので聞いてきたのです。
見た瞬間、「アッ、アレだ!」ってピンときました。場所の記憶があいまいだったので、家に戻って調べて連絡する約束を致しました。

アハハ、整理が悪くて過去の山積み資料ひっくり返してやっと見つけました。
談話室でのお勉強のお陰で今度は読めました。部首が入れ替わって刻まれるという、一般知識があれば読めるンですね。(やっぱMURAhどんでも少しは進歩しているようです。(*^^)v

資料はやはりとても大事ですね。後でこうやって参考になる。初めて師匠の役にたてて良かった!
デジカメの調子が悪くチトピンボケですが、日本石仏図典にも地番が抜けているので掲載致します。

三尸塔の範疇ですね。

銘文

{左側} 右すぎと道
       下高野村
      左さって道
{右側} いっぱい書いてある(オイオイ大丈夫かよ(~_~;)ご希望があれば掲載致します。)
      宝暦七年

  *ご覧の通りブロック塀で狭くて読みにくい。オマケにMURAhどんの苦手な崩してある字で、誰かに読んで欲しい<m(__)m>
埼玉県北葛飾郡杉戸町下高野227 和戸橋交差点脇 96-42-27
図典の大護先生の写真では背面が垣根になっていますが、現在はブロック塀で写真も超斜めからしか撮れない。
場所は御成街道沿い和戸橋先の三叉路交差点です。道標に刻まれた方向から判断して現在でも通用しますね。
廻りはどんどん変化しても、設置場所位置はずっと変わらず見守って来たのでしょう。
MURAhどんは、フィールドワークで何基か三尸塔を見ており、庚申塔の一種としてきました。
石仏図典参姑神によると、「姑を故として三尸の呪能を破る意ととれば庚申の意に通じるだろう」って意味深な書き方になっています。
只同じ石仏図典庚申塔(4)や石仏辞典・yamagutiさんに頂いた資料は、「三尸説の典型的な庚申塔である」って断定していますので、MURAhどんも庚申塔としてこれからも調査項目に加え、出陣致しましょう。