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関宿の石田さんから特種情報頂戴致しましたので、掲載致します. 詳細は下の石田さんからのお便りを読んで戴きたいと思いますが、石田さんは石仏愛好家の皆様 に見てもらいたいとの事。(特に如意輪にとりつかれた遠藤さんに期待しておられます。(^○^)) 石田さんの提起しておられるのは、大きく分けて二点。 1 男性戒名が彫られていること。 2 関宿地区では、文化三年から急に十九夜塔が立て始められたこと。 それでは以下、石田さんから送られてきた、写真とお便りを御紹介いたします。 |
先日、旧関宿藩領の地区の墓地に如意輪観音を発見致しました. この墓地は通称「弥五郎様」と呼ばれる植竹家の墓地で、すでに子孫は他所に移ってこの地には住んでいないようです。昔はお金持ちの名主であったらしく「弥五郎沼」とか弥五郎の不動とか 痕跡だけは残っていたのですが、墓地を見た事がありませんでした。 最近、道路の工事でこの墓地を発見し、行ってみると弥五郎様の墓地でした。天正元年から昭和までの墓石が並ぶ関宿でも最古といっていい墓地ですが、その中に如意輪観音はありました。 墓石で男性の戒名が刻まれてあって少し驚きました. 銘文 月峯道秋居士 寛永十四丁丑九月十八日 楓屋秀錦大姉 寛永十六巳卯八月二十日 (縦 97 横 46) 如意輪にとりつかれた遠藤さんや、他の皆様に見て貰えませんか.如意輪観音が女性の墓石で 99%を占めるとすると、これは男性の入った貴重な1%の墓石となります。 飾りも何も無い素朴な・・チョット淡谷のり子に似ている観音ですが、最初はこんなもんじゃなかったのかしら・・・ ここ旧関宿地区は不思議(?)な事に文化三年まで一基の十九夜塔もないのです。そして、どうした事か文化三年から怒涛の如く各地区に立派な塔が立ち始めるのです. 二十三夜塔もその傾向があります。 |
皆様の御意見をお待ちしております。 掲示板「赤提灯2000」迄お願い致します. |