記事タイトル:「平塚の庚申塔」興味深かったです。 


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お名前: MURAhどん   
今月(H17.5)の談話室は、梶川さんの平塚周辺の庚申塔のお話でした。
一昨年MURAhどんが初めて談話室でお喋りをした時に、談話室の担当を
されており大変お世話になりました。その時興味深く埼玉二手について質問され、
平塚の四手とか大曲・龍前院型について教えて戴いたのを覚えております。

今回のお話は、平塚の庚申塔を清水長輝さんの区分に従って第二期主尊混乱、
第三期青面金剛時代等といったふうに説明を始められ、たまたまMURAdどんも
幸手の纏めを一年ぶりに同じ区分に整理して傾向を分析始めたところだったので、
幸手と比較しながら興味深くお聞き出来ました。

初出は明暦で、178基の内25基が延宝迄に造立されております。
幸手は調査済の180基の内8基が延宝迄に造立(初出は寛文)されており、
平塚のほうが早い時期から造立が始まっております。

青面金剛像塔42基の内四手が8基あり、48基すべてが六手の幸手には、大津絵の
影響が田舎の為、及ばなかったのでしょうか。

又六手の殆どが合掌型(25基)であり、剣人は僅か3基です。
一方幸手は合掌13基、剣人28基となっております。
時代が下がるにつれて剣人に移行するのは同じです。

他にも主尊の話、山王のお話、文字梵字のお話等盛りだくさんで、あっという間に
時間が過ぎてしまいました。

梶川さん、どうも有難うございました。
[2005/05/08 15:39:03]

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