記事タイトル:お久しぶりです! 


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お名前: Chisato F.   
さしずめ私はMURAh従兄弟1と言うところでしょうか?
博ちゃんにこういう趣味があるとは以外でした。
なかなか渋いですね〜
長いこと大越のお墓参りに行っていないので行かなきゃな〜と思わせるHPでした。
なかなか凝っていて楽しいし。。。
博ちゃんの写真を見たときにはちょっと笑っちゃったけど(^o^)
私が人の親になったのだから、博ちゃんが仏様に興味持ってもおかしくないね!
私も悟りを開きたくなったら相談します。(今の私にはちょっと早いかな?)
ところで出産のお祝いを頂いていたのに、忙しさにかまけてろくにお礼も言わずごめんなさい。
お陰様で悪戦苦闘の毎日を大いに楽しんでいます(*-*)
HPにはまた立ち寄らせてもらいますね♪
素敵な奥様と可愛いお姫様たちはお元気ですか?よろしくお伝え下さい。
MURAhどんも身体大切にね!(やっぱり私には博ちゃんの方がしっくりくるな〜)
ではまた。。。

千 里

P.S. アドレスが変わりました。
[1998年12月28日 13時41分16秒]

お名前: MURA(hirosi)でーす   
 本性が少しバレたかなぁ、、、MURAエッチだと思ってたでしょ>>皆
(多分、皆知ってると思うけど!!!)

大越といえば、、、、(すんません>>ALL ローカルな話題に入ります。)

家の真ん中に「聖徳太子」の石像があるでしょう。
あのいわれが解りました。

TO ALL
MURAhどんの曾おじいさんは、埼玉で瓦屋をやっていました。
MURAhどんの生まれた家の真ん中に「聖徳太子」と書かれた
石像があるのです。

今まで良く解らずに、瓦を焼く釜の跡の記念碑くらいに考えて
いたのですが、石仏関連の書物を読むに従って、意味が解って
来ました。江戸から明治にかけて、大工さんとか屋根職人が、
信奉してたのが、聖徳太子なんですね。
(当時の信仰は、凄いものがあったらしいですね、、、)

正月に行くので、シミジミ眺めてみようと思ってます。

   時々は来るんよ>>>>チーボー(この方がぴったし!!)
        MURAh従兄弟NO1のチーボーへ(^_^;)
[1998年12月28日 23時34分48秒]

お名前: Chisato F.   
恥ずかしながらそういえばなにかあったな〜と言う程度で聖徳太子の石像だとは思いませんでした。。。
私も我が家のルーツにはとても興味があります。
何かわかったら是非教えて下さい。
   MURAh従兄弟NO1より
[1999年1月6日 15時23分14秒]

お名前: MURAh   
やっぱり、チーチャンもそうでしたか。。。
MURAhどんも、子供の頃は聖徳太子の周りで鬼ごっこやって
ましたもんね。

銘文、じっくり読んでみました。
昭和2年の造立ですね。
造立はもちろん、熊太郎曾じい様です。

家系が、ずーっと書いてあり、
祈願内容は、瓦業を辞めるにあたり、子孫に
ずーっと伝えたいむねの事が書いてありました。
(きっとチーチャンやMURAhどんのような、
出来の悪い子孫が(^_^;)出てくるのを予想して
いたのでしょう!?)

それから、当時世話になった京都帝国大学の
先生に感謝する旨の文言が書いてありました。

もう少し遡って調べたくなってきたMURAhどんですが、
取りあえず、ご報告しておきます。
[1999年1月8日 23時25分22秒]

お名前: Chisato F.   
すごーい!!!
熊太郎だなんて知らなかった。。。
なんだか感動です。
是非是非続きを教えて下さい。
そういえば実家へ帰るとママがおばあちゃんからもらったという古いお皿をよく使っています。
蔵の中に沢山あるとおばあちゃんは言っていたそうですが、今でもその蔵はあるのですか?
もしまだあれば何か面白い物が見つかるかも☆
なんだか大越へ行きたくなってきました。
続き楽しみにしています。

MURAh従兄弟NO1
[1999年1月10日 18時5分33秒]

お名前: MURAhどん   
 えーつl熊太郎曾爺さんを知らなかったの?
子供の頃貧しくて、台風で家が吹き飛んでしまって、
奮起して、瓦業で大成功したんだよ。
MURAhドン家の中興の祖でごじゃりまするよ。
銘文によると、5代目らしい。もともとは、江戸で
町医者(薬屋だったという説もあるらしい)だった
人が、養子に入ったらしい。(確か2代目か3代目)

 この手の話は、おじさんが詳しいですよ。
(面白い話が聞けたら、掲示するんよ!)
[1999年1月10日 20時35分57秒]

お名前: Chisato F.   
知らない知らない全然知らなかった!
パパ私には全然教えてくれないんだよ。。。
えっ?じゃ〜ずーっと瓦屋さんじゃなかったの?
熊太郎曾爺さんの前は何してたの?
瓦屋さんなのに何でたんぼがいっぱいあるの?
う〜続きが楽しみ楽しみ☆

MURAh従兄弟NO1
[1999年1月18日 14時27分45秒]

お名前: MURAh   
その後機会ある毎に調べたのですが、チーチャンやMURAhどんからみて
7代目で、行き詰まりました。瓦業を始めたのが7代前の萬五郎さん。寛政
6年の事です。西暦1794年ですから200年と少し前ですね。瓦業もこ
の人が始めたようです。幸手市で生まれたとの事ですが、詳細はどうしても
解りません。

只この人には男の子がいなかった。 女の子は「いわ」という名前で、彦太
郎さんという養子を迎えたのです。6代前なります。

幸手の萬五郎さんが行き詰まった為、この彦太郎さんをと思ったのですが、
これもあきまへん。徳川一橋家の御家人で江戸日本橋小網町の薬師を生業と
していた人の子供とのこと。この先調べるのは、かなりしんどい作業になる
と思われます。今のところ行き詰まっております。

その後、この彦太郎さんに、彦三郎・吉五郎さんという兄弟が生まれ、彦三
郎さんが例の熊太郎さんのお父さんです。

取りあえず、今回のルーツ探しはここまでとしますが、石仏探しで寺をまわ
る事が多いので、日本橋方面に出陣のときは、調べてみようと思ってます。

そいから、お尋ねのたんぼの件は、やはり熊太郎曾爺さんが一代で作ったら
しい。過去帖には5町余りあったと記載されていました。

いつかMURAh娘NO1とNO2にも話そうと思ってます。
[1999年5月1日 8時27分57秒]

お名前: C.Fujiwara   
すっご〜い!
そうなると我らは生粋の埼玉県人というわけですね?!
うっ〜複雑な思い...
聖徳太子文字塔の写真を見て思わずうっお〜懐かしい!と叫んでしまいました。
いつぶりに見たかな〜うううっ〜
随分前のことのようですが、蔵の裏の入り口に立っていた立派な松の木枯れてしまったそうですね?
MURAhどんが凧上げしてくれた道なので、とても記憶に残っています。
お盆にはなすにお箸を刺して置いておいたりしたところですよね〜
あ〜歳をとったのですね〜
そう言えばジージは手持ちの畑は代々の物だから大切に守っていける埼玉県人にと
前から考えているようです。ゆえに私には譲れないそうな・・・
MURAh娘NO1.2なら夫婦別姓と言うこともあるし・・・などと言っておりましたが・・・
ところで特別企画見ました。
なんだか気恥ずかしいような・・・ちょっとエッヘン!て感じのような
HPも感じが変わったのですね?
見やすくなったように思いますが・・・色的にも私の好みです。(どうでもいいか?!)
ちょくちょく見ているんですよ!
また続きを楽しみにして良いですか?
ではお身体大切に・・・

我が家はみんな元気です!
MURAh従兄弟NO1
[1999年5月3日 10時24分50秒]

お名前: MURAhどん   
ルーツ探し、やっぱ大変ですね。
自分としては、日本橋御家人の彦太郎さんに興味があります。
養子といっても婿養子ですから、チーチャンやMURAhどんも
血は受け継いでいます。

当時、MURAhどん家7代前に居候をしていたらしいので、その
経緯についても興味があるのです。

まだ何にも解らない状況ですが、ここをクリアーしたら、どんどん
遡っていけそうな予感がしています。

いずれにしても、10年後本業をリタイアしてからかなぁ、なんて
思ってます。

ところでこのコーナー、メッセージの山に埋もれつつあります。
5月1日付けにて、新項目に移してありますので、差し支えなかったら、
そちらに色々書いていただけると、嬉しいです。。。。
(結構読んでる人いますので、、、、)

取りあえず代理アップしてしまいます。      でわでわ
[1999年5月7日 23時20分27秒]

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