登録番号1700
平成9年10月31日
登録者代表: 森竹敏朗
共同提案者: 辻野隆雄 柏原誠
近藤みどり 鷲原知良
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こんな変化の速い大都会では半年も待てない−。再会を約束して旅立とうとするマリエル・ヘミングウェイを前に、ウディ・アレンは子供のように駄々をこねる。映画「マンハッタン」のラストシーンだ。
半年後が信じられない、とまでは言わなくとも、都市においては50年前の痕跡すら歴史的遺産に見えてしまう僕らの想像力では、おそらくすべてが変化しているだろう50年後の都市については、「機械的合理性がすべてを律している社会」「いや、人間の情感はそう大きく変わらず生き残る」、楽観・悲観、あるいは両者のミックスして想像するが、やはり楽観的でいたい、と希望しているものだ。 さて、京都だ。 この街の現状を見る時、未来も視界に見据えた変遷の流れの中では、現時点が過渡期にあるのか、あるいは過去の時代をとっくに過ぎてしまったのではないか、という判断がまず求められている気がする。その判断が、50年後もこのまま「特別なイメージが付随する都市」であり続けられるのか、それとも単なる一地方都市になってしまうのか。そして将来の鋒先を産業基盤開発を再優先した都市経済力強化に向けて経済的大都市になるのか、あるいは日本文化・伝統的美学といった付加価値的資産の集積地として生きていくのか、あるべき未来の京都の姿を写し出すために必要なポイントだ。 都市は人間の活動と思惑の集積地である以上、その変化は計算された理論より人々のファズィーな感性に従うものだ。人々の日常生活の地盤である近代文明はしばしば「美学を生み出す文化」を時空の彼方へ追いやってきた。しかし僕らは日常生活で文明の利便を享受しながらも、この都市に美学的文化の巣窟であることを要求している。僕らはやや楽観的に「50年後も際立った個性を持った都市であり続けること」を大前提に、未来の京都に期待をかけたヴィジョンを提案する。 僕らははたして50年後、ウディに対するマリエルのように「人間は意外に健全よ、信じなさい」と言っているだろうか・・・。 |
私たちの提案は、「50年後も都心部に豊かな都市文化が生きる都市であり続けること」を最大眼目としている。50年後の京都が京都らしくあり続けるために、あくまで住民の視点から考えた京都の未来像だ。
京都の都心部の未来像についての僕たちの考えから始めてみよう。
京都が国際的に認知された独自の文化都市であること、将来においてもこの姿を維持していくこと、それが都市として価値を産み出していくものだという市民的コンセンサスが確たるものなら、既に長い歴史の堆積によるソフト的資産がストックされた都市の市民のプライドと愛着を育むために向かうべき方向は、経済発展を最優先した都市開発を目指すことではないだろう。こと京都について、未来に渡って国際的文化都市で在り続けるためには、独自の都市文化を育てた基盤の維持と継承以外にない、文化とはにわかに造り出そうとして生まれてくるものではない、と僕たちは考えている。そしてまた、京都の都心部の活性化は経済力にのみ頼るものではなく、独自の都市文化の発信拠点としてのエネルギーによるものでなければならない、とも考えている。そのために最も必要なファクターは、都心型ライフスタイルの創造であり、それを担う人たちだ。
繰り返すが、都心部の居住床面積を重視するあまり、高層集合住宅が通り沿いにびっしりと建ち並ぶ状態になることは何としても避けたい。木造の町家が老朽化している状態を鑑みると、50年後にはその街並の大半が姿を変えていることになるだろうが、高層集合住宅の林立は景観として殺風景、そして何より居住者にとっては生活様式の連続性の断絶、市民コミュニティの面でも障害が生じるものだ。これこそ最大の問題とされるべきだ。
都市の居住環境を改善する上で交通環境整備・改善は後述する市内の産業にもかかわってくる問題だ。京都の街区構成は自動車中心の交通網には不向きな構造であるが、市民生活環境を優先して考えると、都心部住民の生活のためには自動車の通行を禁止してもダメ、自由にしてもダメ。単純に道路拡幅、あるいはやみくもな総量規制へ向かう発想はこれまた当面の物理的解決法でしかない。商用車と自家用車、「軽」や「原付」と「大型」「路線バス」が何の区別もなく市内のすべての道路を埋めつくしている現在のシステムは早急な見直しが迫られている。自動車のメカニズム自体の進化に裏付けられた交通法規の変化も含めて、居住区と駐車スペースの合理的に共存する組合せ、パーク&ライド方式、時間別車両通行規制のような複合的システムの導入など、安全と機能性の観点から都市交通システムを再検討する必要がある。最も重要なのは「自動車への全面的依存・最優先意識」という市民の固定観念を改める環境を整備していくことだ。
さらに、京都らしさを生かした文化・産業的パワーアップのために、各分野のハンドクラフトワーカーの活動する街、手工芸品製作技術の集積地としてのレベルアップのための都市づくりも提案したい。京都は様々な美術・工芸品の作者の仕事場が市内各所に点在する「ハンドクラフトワークの街」である。大量生産製品に支えられている現代でも手工芸品の需要は根強くあり、また今後とも絶えず求められ続けると思われる。しかし現状は人件費高騰、需要のジリ貧などからコスト低減を求めて生産拠点は市外へ、海外へと移すものが増えている。このような「職人産業」を京都ならではの代表的産業として位置づけるならば、“Made
in
京都”製品の品質とブランドイメージ、生産量の向上を図ることは重要な意義を持つことになる。何より人材を育て、活躍できる環境を整えること、これが最も重要だ。地場のクラフトマンの仕事環境を整備することはもちろん、他地方のクラフトマンが京都へ仕事場を移しやすいような環境を準備する。、さらにクラフトマンの育成環境・教育システムの充実も当然必要になってくる。都心部において「居住区」と「手工業生産の場」が混在という都市構造から工芸・芸術の分野において秀でた人材が育ち活躍する環境が整えられることになるし、販売面においても「京都」のブランド・イメージをより活かすことができる。
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1965年と1995年のデータから市内の人口動静を見てみよう。
家屋の老朽化 いわゆる京町家に関する調査(京都府立大学の宗田好史助教授)によると、東西は河原町通〜大宮通、南北は五条通〜丸太町通の範囲内で約7,800
棟、大半が築後50〜60年以上は経過しており、老朽化が進んでいる。対象となった町屋の住人からの聞き取り調査では、その利点として「落ち着く、四季の風情が感じられる」など心理・情感に訴える部分が、短所として「暗い、空調の効率が悪い、維持費がかかる」など物理的理由が主に挙げられた。
通りや路地に面するコミュニティの発生 京都の市街地では平安遷都以来、現在に至るまで当時の町割を踏襲している。正方形ブロックを単位としていたが、近世以降、地域の生活単位として両側町と呼ばれる道路を挟んで向かい合ったエリアが一つの町となっている。「お町内」には住人が共有する空間がいくつもあった。例えば通りの交差点「四つ辻」を見ると、塵溜め、機土門、番小屋、地蔵堂などが集中して配され、町会所があった。また共用空間の維持、管理円滑な共同生活を支えるための規範として町式目を定めていた(特に流動の激しい所では成文化されていた)。生活規則を確認しながら共同生活を行うという形態は、京都においては受け入れられる素地を持っており、このような共同利用ユーティリティを設けることは京都の気風に溶け込みやすいと考える。
京町家は地域コミュニティやプライバシー保護といった面で優れている。この両方を兼ね備えた工夫は最近の住宅にはないものだ。住戸が互いに隣接しながらも個別的には簡潔性を持っており、その世代的積み重ねの中で、濃密化させず深く入り込まない近隣関係、節度を踏まえた「お付き合い」の方法が蓄えられてきた。町家型共同住宅においてはプライバシーを確保しながら共同空間を造り、共同性を維持することが重要だ。
京都は神具・仏具・陶磁器・漆器・染織・料理・菓子など職人産業による「ハンドクラフト」の都市という一面を持つ。しかし現段階において、既に京都の手工業の工程はかなりの割合で京都市域外へ流出している。これは第一に、大量消費時代以降の量産化に対応するもので、第二に土地投機の対象となり地価上昇があったためだ。また若年人口の流出から全体的に高齢化傾向が進んでいる。さらに伝統的織家造りの家屋も量産化への対応に加え、家族意識の変革に伴って変化しているようである。このことは独り伝統産業のみにとどまらず、京都市全体の問題である。人口・産業の空洞化と根を同じくする問題である。 このように京都の産業構造と空洞化の問題は密接なつながりを持つものだが、これらの産業構造の変化は社会および経済情勢の変化に対応すべくなされた、必然的成り行きであったことも事実なのだ。現在のままの経済状況の元で従来のままの経営戦略をとり続ける限り、生産体制の改革を図ることは困難であるのみならず、意義薄いものとなってしまうのだ。
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概論で述べたように、京都の都心部の活性化には、企業や産業を誘致するより人口を誘致することを考えたい。ここで都心部居住について簡単にまとめておきたい。
市街地の高密度・高機能化を図るための中高層化は不可避の現実であるが、個人の負担により個別に建物を建てていたのでは私有地内での単体建築しか成立しない。建築基準法上の集団規定を適用して建設を進めても、一団の建築からなる街区をとらえた時、社会的に適切な環境となる確実性に乏しいばかりでなく、所有者にとっても規制の重さが事業や居住性の負担となっている場合が多い。日照権、税金問題、容積率、防災問題、交通問題…即座に思いつくものでも枚挙に暇が無い。殊に美観的な配慮まで行いたい京都市街地では、なおその悩みは深い。
さらに以下の点については将来像を策定するにあたって、避けて通れない一般的な都市の諸要素であろう。
情報インフラ コンピューター、インタ−ネット等の通信技術の一般化・大衆化により、情報の処理、入手は企業のみならず一般家庭でも可能になり、有効に利用されるようになった。これら情報インフラは今後更に整備されることとなるだろうが、SOHO等の会社・生産形態がバックアップされていく社会的基盤が必要となる。情報を操作することによって生産される物が、流通体系や生産システムを介してとして効率的に社会に還元される仕組みを作る必要がある。
企業形態の多様化 大企業のリストラ、レイオフ等にみられるように、日本の独特な大会社終身雇用制度は転換期にきている。各人のもった技能を社会に役立てられるように、小単位で個別に事業化できるような仕組みが必要である。
また、低コスト・効率的な生産をサポートする社会の仕組みを成立させることが必要となる。
高齢化、少子化社会への対応
高齢者が自力で生活出来るような安全で生活しやすい社会の仕組みを作る必要がある。また、自力で生活できない人のために、適切な社会福祉を提供する社会を作る必要がある。
子どもが学校だけでなく生活の中から様様な事を学び取れる社会の仕組みを作る必要がある。仕事、生産という行為が身近にあり、社会の知恵を生活の中で伝えていけるような、職住一致環境が必要である。
生産人口の総数が減ってくる以上、社会福祉に過度の労力を割かなくてすむような効率的な社会を作る必要がある。
高効率社会を支えるシステムを成立させるインフラの必要性。
道路交通事情を改善し、生産・サービスを支える基幹物流(資材・生産品・廃棄物の搬出入)を促進する必要がある。
老若男女安心して住める生活圏での安全な歩道が必要である。
広場、公園、フィットネスセンター、プール、コミュニティ形成の場を提供して、人間関係の形成に役立てる事が必要である。
特徴と時宜に応じた選択性を持たせて、退屈さを排除すると同時に、過度の集中を避ける必要がある。
車を抜きにした生活は考えられないのだから駐車場も公共的な力によって整備する必要がある。
体系的なライフラインの構築により、維持管理の簡単な町とする必要がる。
環境保護システム コジェネ、蓄熱層、太陽電池、地域冷暖房による省エネ型設備の展開を行う必要がある。
植栽などを適切に配して、ヒート現象などに歯止めをかける必要がある。
廃棄物、ごみ処理施設を検討すると共に、サーキュレーションがうまくいく物流の仕組みをつくることが必要である。
防災都市機能・避難経路・避難場所の整備
耐火・耐震構造物により災害に強い町を作る必要がある。
防災性のあるライフラインの構築により、災害に強い町とする必要がある。
広場、公園などの避難場所の確保が必要である。
袋地の危険性を解消しサーキュレーション(防災機能・機能性)のある町とする。
居住空間への要求の多様化
世帯規模は小さくなっているが、家族形態の多様化は実に様々な要求を生み出しており、単純に小規模住宅の供給でこと足りるわけではない。核家族化・若年層単身世帯・DINKSの増加、職業の多様化・収入分布の多様化・複数世代の同居。これらの要求に対する柔軟性を備えたハード的機能の構築が必要とされる。
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私たちはまちづくりのコンセプト決定から計画の進行において、住民主体のNPOに大きな可能性を見ている。これまで都市計画・まちづくりの場面には都市計画の主体である行政(国・府・市)と地権者(あるいはその代理人としての不動産業者)やデベロッパーという主体しかなかった。つまり、都市開発で影響を受ける周辺住民などは潜在的なまちづくりの主体として存在するほかなかったのである。このようなシステムが住み続けられる都心部のまちづくりを阻害していた面は否めない。
規制型の都市計画と、利潤追求の民間開発だけでは、魅力ある都心居住を演出できないのである。そこで、私たちは、近年欧米で盛んになりつつあるNPO(民間非営利団体)を中心とした市民まちづくりを、このプランの実現の基礎におきたい。 レスター・サラモン氏によれば、非営利セクターとは、フォーマルな組織、非政府性、非営利分配、自己統一性、自発性、公益性の6点を特徴として持つ。ここに私たちは、コミュニティに基づくという性格を加えた組織を念頭に置いている。つまり、都心部の老朽化した居住環境の更新に際して、ブロックごとや行政区ごと、いろいろな空間の単位が考えられるが、地域住民、企業を主体としたまちづくり会社(NPO)をつくり、これを行政がオーソライズする形でまちづくりをすすめていく。 具体的なプロセスとしては次のようなことが必要となるであろう。まず、行政側にNPOに対する様々な支援策が必要である。これは、現在国会で審議中の市民活動推進法案の内容によるだろうが、市レベルでも、専門家派遣、事業費や運営費への援助、NPOへの寄付に対する税控除などを独自に進めていく必要があろう。また、都市計画決定過程において、住民が参加できる機会を制度的に保障するべきである。都心部のまちづくりについてはとりわけ、まちづくりは基本的に市民のものであるという認識を持ち、都心部住民のまちづくりを側面から支援していくという姿勢が求められている。また、住民側には、単に住宅を立て替えると言うだけでなく、自分の住んでいる地域をどうするか、といったまちづくりの視点が求められることになる。 このようなまちづくりを進める仕組みをもう少し具体的に構想してみよう。まず、地域コミュニティに非営利のまちづくりNPOを設立する。市の政策としては、これらのNPOを支援する政策を整備していくことが必要である。NPOに対する企業の寄付を課税ベースから控除するなどのことは、全国的な制度として確立されるであろうが、京都のまちづくりにおいて、NPOとの公共−民間のパートナーシップを適切に進める仕掛けが必要である。ただし、これは単なる「民間活力の活用」ではない。公共目的のために、民間のリソースを活用することであり、力点は前の目的の方におかれるべきである。一例として、アメリカの都心部再開発で行われているライトダウンのような制度が必要だ。これは、都心部の場合は、私たちのプランのような開発よりも、オフィス主体の業務系、商業系の開発をデベロッパーは先行しがちである。これは、コストとベネフィットを秤にかける営利企業の立場からは当然である。この際、市が用地を買収し、その買収価格より安い価格で、デベロッパーに払い下げる、これがライトダウンの手法である。その際、デベロッパー側に、公共目的に沿ったプランによる開発を義務づけるのである。 私たちの構想では、このデベロッパーに地域住民を主体としたコミュニティベースのNPOを位置づけているので、市はより低い出費で公共目的を達成できるであろう。しかも、その公共目的をその地域住民とともに形成することで、権利関係の調整などのコストをより引き下げることになるであろう。住民側は、個々の住宅だけでは実現しにくい、快適で機能的な、かつ人間的なヒューマンスケールのコミュニティの再生を図ることができ、市行政側は、より少ない出費で公共目的のまちづくりを実現できるというメリットが生まれる。 まちづくりNPOは、私たちのプランで後述されるスケルトン・インフィル構造の立体街区のモデルを下敷きとしながら、地域の実情に応じたプランを住民の意向を聞きつつ、作成し、そのプランへの誘導を図っていく。また事業主体として、立体街区における半公共財として位置づけられるスケルトン構造の供給主体となる。これを個々につくるのではなく、半公共財、いわば地域の社会資本として位置づけ、NPOという半公共的な供給方法を活用することで、効率的な地域社会を構造化できるのである。スケルトンの部分は、基本的に個々の居住者の手によるが、ここでも、NPOによる供給や、地域住民と市との建築協定、もっと進めて私たちのプランは地区計画の対象ともなりうる。これらのような都心居住を維持していく仕組みが必要である。また、街区に設置される共同利用施設の活用や管理にも、コミュニティベースであたるという発想もコミュニティ再生のためには不可欠である。 この受け皿として、まちづくりNPOは、事業主体としての性格と同時に、地域住民の生活を維持・再生するための政策を形成するアドボカシー機能をも持つ必要がある。つまり、地域住民の要求を、NPOとタイアップした専門家(法律家、建築家など)のアドバイスを受けながら、政策にまで高め、事業として実現したり、市行政に対して政策化を要求するなどのことである。京都には豊かな住民運動の経験があるが、このエネルギーを対立型の住民運動から政策提言型のNPOへ転換することで積極的に活用できるのではないか。 また、このような活動には資金、人材など様々なりソースが必要である。京都の祇園祭は、企業のフィランソロフィーや町衆のボランティアが基盤となっており、紀要としにはその素地は十分にあると思われ、市が適切な制度の整備をはかれば可能であろう。 また、これらのプランの実現については、行政側の対応も必要で、例えば、京都市は政令指定都市だが、行政区単位に区のまちづくり計画を策定し(あるいはもっと狭域の地区計画)、都市計画に関わる権限を行政区単位に移譲して行くなどの工夫が必要だ。すでに神戸市などでは、このような試みが進められている。 |
ここでは前述した都心居住を推進する都市像の試案を、居住空間、共用空間、生産空間を内包する街区のシステム提案という形で具体化してみる。特定の形態ではなくシステム提案とすることによって、より個別の地域住民の要望に応じられるように弾力的な提案とした。モデルとして京都の典型的な120m四方の街区に相当数の住戸と生産施設を確保する計画を行い、京都の都市像の試案を作成している。この街区には、両側町的コミュニティ、町屋のパブリック・プライベートを巧みに区分する構成、袋路地と長屋による共同生活コミュニティ、伝統産業の保護など京都の独自性が巧みに挿入されている。このシステム内で個別の建築物のデザインを展開する上でも既視感を大切にした計画となるよう展開すべきであると思う。
相当数の世帯を計画するために街の中高層化を計画した。無秩序な中高層化による乱れを事前に防ぐために、適切な都市計画の下で立体街区を整備開発することを提案する。立体街区のスケルトン部分を地域社会などの意見を取り入れられる社会組織によって提供することにより、交通を制御したり、日照権を制御したり、地域冷暖房・蓄熱槽・コジェネなどの共有設備基盤の整備を行って省エネを図ったり、効率的なライフラインを適切に配置して維持管理の効率化や防災対応を図ったりするなど、現代都市の構造的な社会問題を事前に制御できる。そのため、個別の区域で個別に建築を開発するより、豊かな空間が形成されやすいと考えられる。同時に伝統的地域社会・各種社会活動と融合するように町家や路地などの伝統的な文化を踏襲することなども容易である。制度面ではコミュニティを中心としたNPOをスケルトン構築団体に組織化することにより、京都的な風習や建築的思考など地域事情を汲み入れることができるだろう。
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以上、僕たちが描く未来の京都の都心像について述べてきた。
本コンペティションに応募を決めて以来、僕たちは何度も京都の街中を歩き、ディスカッションを重ね、そして「独自の都市文化」の継承を最優先課題とした都市再生が行われなければならないと再確認した。早晩、この都心部に大幅な改造が求められることになりそうだが、京都のアイデンティティを尊重し、生かす方向へ向かわなければならない、と信じている。この提言は歴史的都市文化を継承するための先進的な実験だ。現在、都市としての哲学や羅針盤を見失っている、そのおかげで、市の現状が必ずしも市民にとって望ましい方向へ進んでいるとは言い難いのだが、「人間は以外に健全よ、信じなさい」と楽観することにしよう。 |
島村昇、鈴鹿幸男、他:京の町家.
鹿島出版会、1971 中條毅:経営労務の近代化.
三和書房、1972 片方信也:西陣、織と住のまちづくり考.
つむぎ出版、1995 住生活研究所編:甦る都市;職人のまちから新しい市民のまちへ.
学芸出版社、1995 京都市都市計画局都市づくり推進課編:新版町家型共同住宅設計ガイドブック.
1996 都市居住シンポジウム開催委員会編:都市居住の課題と展望.
学芸出版社、1996 大野輝之・ハベ=レイコ『都市開発を考える』(岩波新書,1991年)
レスター・サラモン(入山映訳)『米国の「非営利セクター」入門』(ダイヤモンド社,1994年)
小林重敬編・計画システム研究会著『協議型まちづくり』(学芸出版社,1994年)
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登録番号1700
登録者代表: 森竹敏朗 共同提案者:
辻野隆雄 柏原誠 近藤みどり 鷲原知良