新城・半原藩邸跡  場所の地図

 新城市八名地区にある市指定文化財の史跡です。次のように新城市教育委員会の説明文が、史跡前にあります。

●種別・名称
 (史跡)半原藩邸跡 昭和33(1958)年4月1日指定
●所在地
 新城市富岡字大屋敷
●内容
 半原藩主の安部氏は安部川上流の安部谷の出身とされ、今川氏に属していたが、後に徳川家康に従い、元禄14(1701)年には2万石を有する大名となった。この安部氏は城無大名で参勤交代はなく、江戸詰めの定府大名として武蔵国岡部、三河国半原、摂津国桜井谷の3箇所に陣屋を置いて、本拠を岡部藩に構えた。
 慶応4(1868)年、勤王側につき戊辰の役に従軍した安部信発(のぶおき)は藩庁の所在を岡部からこの地に移したことで半原藩が成立することとなった。明治3(1870)年、屋敷内に藩校の学聚館、剣術道場の健武館などを建てたが、翌年廃藩置県で半原県となった。
 明治20(1887)年、半原藩邸跡地に郡立八名高等小学校が創立され、旧吉田藩士の藤森彦男(よしお)初代校長の学風を慕って県下各地から多くの人材が集まり、「やなこう」は名門校として多くの優秀な人材を輩出した。

 このように半原藩は、慶応から明治にかけて1868〜1871年にかけてのわずか4年です。

「八名高等小学校之跡」石碑 半原藩邸跡の石碑 石碑アップ
≪平成29(2017)年3月26日撮影≫

                  釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成29年3月28日(火):第2172号】