新城・今水寺跡 場所の地図

 今水寺跡については、新城市のHPに次のように記載されています。

 今水寺の開山は弘法大師と伝承されるが、その詳細は不明である。真言宗の寺院で本堂に十一面観音を祀り、その傍らに熊野権現を鎮守とし、さらに奥の院として吉祥山山頂に吉祥天が祀ってあったとされる。今水寺は現在、僧坊もなく古記録もほとんどが亡失している。僧坊は東谷8坊、西谷4坊と伝えるも違う古文書は21坊と記述されている。また、天正17(1589)年の検地帳写しによると、鎌倉時代は源頼朝から寺領を寄せられ、戦国時代には今川義元の保護を得たという。寺院の衰亡は、一説には野田の戦いの頃に武田軍に焼かれたとも言われるが、天正の末には12坊も大方なくなり、慶長年間には熊野神社と本尊を祀った観音堂だけであったらしい。これらのことから、本寺の全盛期は鎌倉・室町期であったと考えられている。

 通行止めの林道を歩くこと10分程、新城市教育委員会の説明板があらわれます。そこに上記の由来が書かれています。一帯はすべて杉林で当時の面影はありません。今水寺の跡地には、小さな祠が、そして、時代を感じる熊野神社がひっそりと建っています。

今水寺跡の方角を示す標識と林道 林道にはいくつかの石仏が続く 今水寺跡地
跡地にある小さな祠 跡地平面図 跡地の東側にある熊野神社
≪平成29(2017)年3月3日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成29年3月6日(月):第2150号】