刈谷・亀城公園  場所の地図

 刈谷市南西部にある亀城公園は、旧刈谷城址の跡地を利用した公園で、刈谷市の桜の名所となっています。

 公園の由来は、園内にある由来碑に次のように記述されています。

 亀城公園は、旧刈谷城の本丸と二の丸の一部にあたります。刈谷城は天文2(1533)年、水野氏の築城で、亀城とも呼ばれています。
 城主は、水野家のあと、水野(分家)、松平(深溝)、松平(久松)、稲垣、阿部、本多、三浦と続き、土井家が2万3千石で廃藩まで在城しました。
 明治維新後、一時、国の所有となった刈谷城は旧士族に払い下げられ、昭和11(1936)年には刈谷町がこれを譲り受けました。昭和16(1941)年、太平洋戦争が勃発、戦争末期には城跡の高台が高射砲陣地となり、うっそうとしていた大木も切り払われ、荒れ果てた姿となってしまいました。
 しかし、戦後しだいに植栽等が進められ、昭和44(1969)年に高台一帯を日本庭園に造成し、その後も度重なる整備により、今日の公園となりました。現在は桜の名所として知られ、四季おりおりの花も美しく、小鳥のさえずりも聞こえる由緒ある公園です。

 公園の南端には、豊田佐吉翁の胸像が建っています。豊田式自動織機を発明した佐吉翁が、大正12(1923)年、同機を据え付けた試験工場をこの地に建設したことがきっかけとなって、刈谷は工業都市として大きな発展を遂げたとのことです。
 桜の名所をうあつだけに、桜の木々が池の廻りをはじめ、いたるところに植えられていますが、まだ1月ということでつぼみは堅く春を待っていました。

公園南端にある刈谷城址の石碑 刈谷城址石碑の左側にある「二の丸跡」の石碑 豊田佐吉翁の胸像
公園中央にある「本丸跡」の石碑 本丸跡の遠景 池の廻りと桜の木
≪平成28(2016)年1月26日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成28年1月28日(木):第1747号】