鮎滝   場所の地図

 新城市出沢(すざわ)地区に、独特の鮎漁である笠網漁をするところが、鮎滝です。小さな滝ですが、狭い岩盤であるため、水の流れは激しく、滝は白い水しぶきをあげ勢いよく流れています。旧国道257号線から鮎滝へ降りていく途中に次の説明があります。

 名勝「鮎滝」の由緒と歴史
 「鮎滝」の名勝は、この滝の瀑布を二間余跳躍し遡上する鮎を、二間の竹竿の先に付けた笠網(被り笠)を両手で把持し、滝壺の巌頭に待ちうけて、魚が空中に飛躍する一瞬にこれを掬いとる漁法(鮎汲みともいう)に因み、滝川三之滝の愛称となったことによります。
 今をさること四百年の昔、寛永20(1643)年に、出沢村の領主滝川一貞が、丸木流しの通運障碍となっていた滝川(旧寒狭川、現豊川)の三之滝(釜淵)の棚巌(たないわ)といわれた大岩盤を、播州高砂の石工を使い、凡そ半年の難工事により、爆破・劈開(へきかい)した結果、木材の流通が容易になったばかりか、遡上する鮎を増加したました。これにより、領主設楽市左衛門貞信はその功績を嘉(よみ)し、正保3()年4月滝川家に「永代滝元支配」のお墨付を与えました。この時一貞は、出沢村民にも鮎の漁獲を許可し、生計の助けとさせました。
 今日、漁業権は漁業組合に移りましたが、「鮎滝」については、その永きにわたる歴史的由緒と旧来の慣行に鑑み、鮎の漁獲は出沢クミンの権利であるとされています。そして往時の新城城主菅沼公、蕉門の俳人太田白雪や幕末の歌人糟谷磯丸、下っては、かの若山牧水など、多数の文人墨客がこの滝を訪れました。その際、人々を魅了した昔ながらの伝統漁法は、今なお保存会の努力により継承され、奥三河屈指の名勝として、また夏の風物詩の添景として、ここを訪れる人々の心に、塵外の清福を与えてくれます。    出沢鮎滝保存会・新城市

 坂道を数分下ると、豊川があらわれます。鮎滝だけ見ていくつもりでしたが、一人の漁師が笠網漁をしており漁を見学することができました。勢いよく流れる滝の上に網をかざすと、勢いよく遡上する鮎が飛び跳ね、おもしろいように網の中に鮎が入っていきます。漁師さんと貴重な時間を共有しました。 

手前の滝壺に網を 手前の滝壺ややアップ 網に飛び込む鮎
奥の滝壺へ 奥の滝壺・網アップ 収穫された鮎
≪平成27(2015)年8月24日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成27年8月25日(火):第1591号】