新城・大手門通り  場所の地図

 新城市役所のすぐ北側に「大手門通り」の石標と説明文を記した城門のレプリカが建っています。そこには、次の説明文があります。

 天正4(1576)年、奥平信昌により築かれた新城城の大手門が、中町南側中央からこのあたりに移されたのは、江戸中期のころであった。以来、新城城と城下町を結ぶ重要な役割を果たしてきた。大手門は、間口二間(4m弱)で瓦葺、扉は観音開き、門の下は、緩やかな石段となっていました。
 昭和60(1985)年の道路整備の折、市民からの公募により、その歴史にちなんで、この道路を大手門通りと命名されました。
       昭和61(1986)年9月28日   新城市

 新城城は、この場所から南へ100mほどの所にある現在の新城小学校にありました。城趾の主要部は、小学校の運動場となっていて、わずかに土塁・空堀が残っています。南東と西南の土塁上にそれぞれ、城跡碑と新城開府四百年の記念碑が建っています。新城城趾については、【第269号】を参照して下さい。

東側から 南側から 西側から
≪平成27(2015)年6月23日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成27年7月10日(金):第1545号】