新城・庚申寺  場所の地図

 芭蕉の句碑と三猿の石像がある寺院が、新城市南西部の千郷地区にあります。曹洞宗の寺院で、山号を真明山といいます。新城観音19番、南設楽四国35番札所です。庚申碑は万治4(1661)年製で関東式庚申塔の形式をふむ貴重なもの、本尊が胎蔵界大日如来で青面金剛でないことから三猿のある彫刻としては最古のものに属すると考えられ、12年ごとの申年の4月に開帳され秘仏とされています。
 本堂前に、この寺に関する次の説明文が掲示されていました。

 「京に飽きて此のこがらしや冬住居」と芭蕉の読んだ句碑に並んで「見ざる、聞かざる、言はざる」の三猿の石像のある寺として、世の多くの人々に親しまれている庚申寺は、その昔、太田白雪の新城聞書によると、新城城主・菅沼定実が万治4(1661)年、武運長久のため江戸で庚申の石像を造り、この地に枝をたれた松の木の下に安置しました。
 ある時、城主定実が家老と家来たちを連れてここを通ったところ、松の枝に大蛇がとぐろを巻いているのを見付けました。それは11月のことで、蛇は土中に入って冬籠りをする季節に木の上に居るのは不思議であると指さされたが、家老だけは見えても他の家来たちには見えなかったので、これは庚申の奇瑞であろうと信心を新たにし、寛文2(1662)年、ここに堂を建て石造を納め秘仏としたと誌してあります。
 然し、実際にこの石碑を拝すると、上に釈迦の種子をしるし、次に立塔の主旨と建碑の年月日、下に三猿の像が刻んであります。主旨をみると、最初に庚申のいわれを述べ、次に私は60日毎に巡ってくる庚申の日に必ず徹夜して仏道を修行し、これを3年間続ける願をたてました。今回その願が成就したので此の塔を建てたと誌してあります。
 いずれにしても秘仏は万治4(1661)年、堂は寛文2(1662)年に建立し、昔から間之町の庚申様といって、城主、家来、村人をはじめ近郷近住の多くの人から信仰せられ、城主、家来たちから額、金灯籠、鰐口、石地蔵、その他数々の寄進がありました。また、正徳2(1712)年に堂を再建し庚申寺と改められました。
 昔は、境内に松、杉、桧の老樹が生い繁り、堂の前庭には芭蕉句碑、六字名号碑、三猿石碑など、その配置よろしきを得て幽すいの趣がありました。(石像庚申碑と芭蕉句碑は、昭和33(1958)年4月に新城市文化財に指定されました。)
 近年、道路の改修、周囲の開発を機会に、老朽甚しくなった堂及び庫裡を改築することになり、現代の名工として労働大臣から卓越技能賞を受賞された新城市大海、阿部工務店主・阿部幸次郎輝政氏の献身的な努力により、昭和52(1977)年5月に竣工しました。尚、歴代の住職墓地をはじめ、境内の環境整備も行われました。        昭和52年5月吉日

 この解説にある阿部氏は、昭和31(1956)年4月に落成した釣月寺の庫裡においても献身的な努力をしていただきました。

本堂 芭蕉句碑堂 三猿石像
南無阿弥陀仏の石碑 境内にある石仏 本堂にある猿の蟇股
≪平成27(2015)年6月23日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成27年7月9日(木):第1544号】