広瀬の渡

 設楽原や長篠の戦いに関する史跡の一つです。
 「広瀬の渡」は、長篠の戦いにおいて、鳥居強右衛門【第87号】が天正3(1575)年5月15日午前2時頃に長篠城【第57号】から豊川に脱出し、そこから泳いで約4km下流において上陸した地です。15日明け方に雁望山【第1416号】から脱出成功の狼煙をあげ、そのまま岡崎城【第193号】まで走り、長篠城の危機を伝え、援軍の要請をしました。その後一刻も早く長篠城内の味方に朗報を伝えるべくすぐに長篠城に向い、翌16日に再び雁望山から狼煙を3回あげて長篠城内に援軍来る!との知らせを伝えたということです。

 設楽原古戦場いろはかるた  場所の地図
 「広瀬の渡」に関するいろはかるたの句標は、「広瀬の渡」北側の道路上に建っています。

句標のある全景 いろはかるた

 舟場  場所の地図
 句標から道路を東方向に200mほど歩くと、「広瀬の渡」の舟場跡の史跡があります。使用された舟がそのまま残されており、そこから坂道を下ると豊川の河畔に出ることができます。

渡で用いられた舟と旧渡舟場史跡を示す表示 河畔から対岸を見るとそこにも舟が

 鳥居強右衛門上陸の地  場所の地図
 「舟場」からさらに東方向に100mほど歩くと、「鳥居強右衛門上陸の地」の史跡があります。史跡を示す表示が2つあり、手前に新しいもの、奥に古い石標があります。画像ではわかりませんが、木々の間から見えるのが豊川です。この河畔から鳥居強右衛門は上陸したということです。

新しい史跡の表示 古井史跡の表示

 巴神社  場所の地図
 「広瀬の渡」から北側300mほどの所に、「広瀬の渡」を見守るように「巴神社」があります。沿革によると、正和元(1312)年に始まるという古い歴史を持っています。設楽原や長篠の戦いをどのような思いでながめていたのでしょうか!

参道 拝殿
≪平成27(2015)年6月23日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成27年7月7日(火):第1542号】