新城・新河岸(入船)の渡し跡  場所の地図

 新城市桜淵公園の一角に、「新河岸(しんがし)の渡し跡」という史跡があります。史跡前に次の説明があります。

 新城の湊(水運)
 戦国時代には軍用道路として信州と三河を結ぶ三州街道も、江戸時代になると商品の流通路としての役割が大きくなりました。
 江戸時代の新城に由来する街道は、伊那街道・別所街道・秋葉街道・遠州街道・望月街道とあり、新城の町は城下町としての機能と共に奥三河における経済(物資・交易)の中心地としての役割を果たしてきました。その賑わいぶりは、江戸時代の新城の俳諧太田白雪の書名に「山湊馬浪」と詠われました。
 街道と共に物資交易に大きな役割を果たしたのが「新城の湊(水運)です。寛永5(1708)年に吉田(豊橋市)と新城の間に定期船が開始され、新城の河岸は”桜淵”にありました。
 最初の河岸は新城観光ホテル前の入江にありましたが、その後、幽玄川下流域のこの地に新しい河岸が作られ、昭和の始め頃まで利用されていました。
 豊川流域の渡し(吉田〜新城)は、「23の渡し」があり、新城市には9ヶ所(中市場・石田・新河岸・鳥原・塩沢・牛淵・長篠古渡・滝川・浜射場)の渡しがありました。

 江戸時代の始め、この場所に船便による湊ができ「新河岸」と名付けられて、目印にムクノキが植えられました。このムクノキは、幹周り約4m、高さ約16m、樹齢350〜400年と推定されます。

新河岸(しんがし)の渡し跡 渡し跡とムクノキ ムクノキ全景
≪平成27(2015)年5月23日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成27年6月12日(金):第1518号】