鶴舞公園歴史散歩  

 鶴舞公園を訪れると、歴史散歩コースの案内があります。公園の周りを16ヶ所の歴史ポイントを巡るコースです。案内板に従い、その16ヶ所をめぐってみました。ゆっくり歩いても1時間弱のコースです。鶴舞公園の歴史については、【平成24年4月3日(火):第352号】を参照して下さい。

鶴舞公園正面入口

1 扁額   場所の地図
 明治42(1909)年の開園当時に内閣総理大臣であった陸軍大将桂太郎の筆による扁額。当初の青銅板は戦時中の金属回収により供出されたため、一時コンクリート製の代用品に変えられました。現在掛けられているものは昭和41(1966)年に復元されたものです。扁額の実物は公園の正面デートを兼ねたJR中央本線のガード西側に掛けられています。
2 伊吹おろしの碑
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 旧制第八高等学校の寮歌「伊吹おろし」を刻んだ記念碑。八高創立50年を記念して昭和33(1958)年、鯱ヶ池のほとりのこの地に建てられました。鯱ヶ池は明治41年につくられた池で、雌雄2頭の鯱(シャチ)の形をしていました。戦後埋め立てられ、昭和37(1962)年からはベビーゴルフ場になっています。
 
3 旧動物園跡
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 大正4(1915)年4月に私営浪越動物園より寄贈を受けて以来、昭和12(1937)年に東山へ移すまでこの地に私立動物園が設置されていました。面積は約1.2ha、飼育動物は250種800点の多数を集めていました。現在では、通用門の門柱2基を残すのみとなっています。
4 鶴々亭  場所の地図
 昭和3(1928)年秋、鶴舞公園一帯で「御大典奉祝名古屋博覧会」が催されました。これは昭和天皇即位の大典を祝すとともに産業の振興、文化の発展を願って行われたものです。鶴々亭はこの時、名古屋材木商工業組合が参考館として出展した茶席で、木曽桧材の最高級品が使用された木造瓦葺き平屋建(建築面積92.4u)です。現在、和室(六畳、十畳)を有料公園施設として一般の利用に供しています。
5 普選壇   場所の地図
 普通選挙法(大正14:1925年施行)を記念した野外劇壇。中日新聞社の前身名古屋新聞社が改題20周年(大正15年)を記念して昭和3(1928)年に建造しました。壁面には普通選挙の基本精神「五箇条の御誓文」とその英訳、および建設の趣旨とが掲げられています。この青銅板は戦争で失われましたが昭和42(1967)年に復元されました。昭和61(1986)年に市指定文化財に指定さました。
6 噴水塔   場所の地図
 明冶43(1910)年、鶴舞公園を会場として、第10回関西府県連合会共進会が開かれました。会場の正面広場を飾ったのがこの噴水塔であり、以来鶴舞公園のシンボルとなっています。設計は鈴木禎次工学士で、ローマ様式の大理石に石組みという和洋折衷式です。地下鉄3号線工事のため一時撤去されましたが、昭和52(1977)年に復元されました。昭和61(1986)年に市指定文化財に指定されました。
7 奏楽堂  場所の地図
 明治43年の第10回関西府県連合共進会では中心的施設として各種の演奏会が催されました。イタリアルネサンス風の建物で、細部にはアールヌーボーのデザインが施されています。設計者は噴水塔と同じ鈴木禎次工学士。昭和9(1934)年に老朽化のうえ室戸台風で大被害を受けたので取り壊され、昭和12(1937)年から平成7(1995)年まではデザインの異なる奏楽堂が建てられていましたが平成9(1997)年に築造当時の姿に復元されました。
8 胡蝶ヶ池 場所の地図
 明治43年の第10回関西府県連合共進会にあわせて造られた池で蝶が羽根をひろげた形をしています。共進会終了後進められた公園建設でも、回遊式日本庭園の中心に位置づけられています。戦後、進駐軍により南半分が埋め立てられ、ベビーゴルフ場になっていましたが昭和30(1955)年に復元されました。中の島の「鶴の噴水」もこの年、朝日新聞社から寄贈されたものです。
9 鈴菜橋   場所の地図
 明治43年の第10回関西府県連合共進会の時から回遊式日本庭園の入口となっていた橋。当初は純日本式の木造太鼓橋でした。戦後、進駐軍による接収中、池の南半分が埋め立てられ、橋も取り壊されました。接収解除後の昭和30(1955)年、池の掘削改修とともに鉄筋コンクリート橋として復元されました。
10 秋の池  場所の地図
 明治43年の第10回関西府県連合共進会終了後造られた池。池のほとりにハゼノキ、モミジなどが多く、秋の紅葉が美しい池です。当時の設計では、竜ヶ池、胡蝶ヶ池から秋の池へ、その後、春の池、夏の池へと水を流す予定でした。春の池と夏の池は、現在の庭球場、公会堂のあたりに計画されていました。 
11 酒匂の滝 場所の地図
 竜ヶ池は水の豊富な池でしたが、まわりの下水道整備が進むにつれ補給水が減り、汚れが目立ってきました。そこで昭和30(1955)年、近くのビール工場とパイプで結び冷却水の余り水を引くことになりました。池の落ち口は落差4mの「酒匂の滝」。名は当時の工場長にちなんだものです。ビール工場は平成12(2000)年に閉鎖されたため、向上からの導水が途絶え、現在の池の水を利用した水景施設となっています。
12 竜ヶ池  場所の地図
 鶴舞公園は明治38年から始められた精進川(現新堀川)開削工事の土砂で造成されたものです。それ以前このあたり一帯は旧御器所村の田園地帯で、水田や大根畑でした。もともと灌漑用のため池であった竜ヶ池は、日本庭園の修景池として残されたものです。
13 私立名古屋図書館跡
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 鶴舞中央図書館の前身で、大正2(1913)年に名古屋市教育会により設立されました。建物は、明治43年の第10回関西府県連合共進会に帝室林野管理局が展示した林野別館を改造したものです。大正12(1923)年、市立名古屋図書館が鯱ヶ池畔に開館しましたが、これは大正天皇の御大典奉祝記念事業でした。私立名古屋図書館の蔵書はすべてこの新しい図書館に寄贈され、今も中央図書館に受け継がれています。
14 八幡山古墳
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 国の史跡に昭和6(1931)年に指定されている県下最大の円墳。高さ10m、直径82m、まわりは堀になっています。大正8(1919)年、公園敷地に編入された当時は老松がうっそうとしていましたが、戦争中、高射砲陣地設営のため伐採されてしまいました。戦後再び緑化され、昭和57(1982)年から緑地保全地区(現:特別緑地保全地区)に指定されています。
15 吉田山  場所の地図
 元名古屋区長の所有地であったこの丘陵に、明治43年の第10回関西府県連合共進会のため、貴賓館が建てられました。その後、国宝猿面茶席、松月斎や美術館なども建てられましたが、戦争で失われてしまいました。戦後、跡地に野外スタジアムが造られましたが、伊勢湾台風で大被害を受けたので取り壊され、昭和39(1965)年からは野球場として使われています。
16 青年団令旨碑壇
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 名古屋市連合青年団が昭和5(1930)年に建設した記念碑壇。青年のスポーツ精神を高揚する令旨が掲げられています。陸上競技場は、大正2(1913)年に大運動場として発足しました。昭和7(1932)年には施設も充実し、乙種認定を受けましたが、戦後の接収時代に荒れてしまいました。現在は認定外の陸上競技場として、各種のスポーツ、行事に利用されています。
番外1 加藤高明伯銅像跡
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 昭和3(1928)年、愛知県出身の内閣総理大臣であった加藤高明氏を顕彰し、銅像建設会により同氏の銅像が建立されました。同氏の銅像は、昭和19(1944)年に戦時物資の不足を理由に供出され、現在は台座だけが残されています。
番外2 名古屋市公会堂
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 この公会堂は昭和5(1930)年に開館し、国内有数の文化と社交の殿堂として広く市民に親しまれていました。その後、第2次世界大戦中には防空部隊のの司令部がおかれ、また戦後は米国空軍の娯楽・厚生施設として使用されました。昭和31(1956)年にようやく名古屋市の管理に戻り、再び多くの市民が集う施設として現在に至っています。
≪平成27(2015)年5月28日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成27年6月2日(火):第1507号】