田原・潮音寺  場所の地図

 2月15日(日)の中日新聞三河版の「ぶらり三河」欄に、「田原・俳人杜国(とこく)ゆかりの地」の紹介記事に、田原市福江地区にある潮音寺が紹介されていました。潮音寺は、すでに訪れたことがあり、写真もとってきてありました。
 潮音寺は、曹洞宗の寺院で、山号を隣江山といいます。境内には、いくつかの句碑があり、杜国に関しては石碑に次のように記載されていました。

 杜国墓碑と三吟句碑
 坪井杜国は、名古屋の御園町で壺屋という米穀商を手広く営む傍ら、町総代をも勤める豪商であった。
 貞享元(1684)年松尾芭蕉の「野ざらし紀行」の帰途、名古屋で作られた連句集「冬の日五歌仙」に作者の一人として加わった杜国は、尾張俳諧の重鎮としてその名を馳せていたが、貞享2年、ご法度とされていた米延商(空米売買)の科により、家財没収のいえ所払いとなってこの地、畠村に移り住み、程なく保美の里に隠棲することになった。
 夢にまで杜国を見て泣いたというほど杜国の天分を愛した芭蕉は、貞享4年10月、「笈の小文」の途中、鳴海より門弟・越智越人(おち・えつじん)を伴い、愛弟子の悲境を慰めようと25里の道を引き返し、保美の閑居に杜国を尋ね得た。再開した師弟がそのとき詠みあったのが、この三吟の句である。
   麦生えて能(よき)隠れ家や畑村 芭蕉
   冬をさかりに椿咲く也        越人
   昼の空蚤かむ犬の寝かべりて   杜国
 翌日、杜国の案内で同行3人は、伊良湖崎に吟行の杖をはこんだ。芭蕉の名句「鷹ひとつ見つけてうれし伊良湖崎」は、このとき詠まれたものである。
 翌年、2月、杜国は伊勢に渡り芭蕉と落ち合い、吉野の鼻を愛でた後、各地を吟行し5月にこの地に戻ったが、2年後の元禄3(1690)年3月、望郷の念と吉野の思い出を胸に寂しくこの世を去り、潮音寺原に葬られた。行年30余歳であった。
 現在の墓碑は没後54年の延享元(1744)年に建立されたものであり、師弟三吟の句碑は、杜国を慕う地元の有志により、明治28(1895)年に造られたものである。

 また種田山頭火の句碑については、石碑に次のようにありました。

 自由律俳人 山頭火 句碑
「あおの雲がおとした雨にむれている」
 行乞(ぎょうこつ:托鉢のこと)の僧として雨の日も風の日も、ただひたすら歩き続ける山頭火は、雨とも一体となり、自然の中にとけ込もうとする禅の境地がうかがえます。
「波音の墓のひそかにも」
 旅日記によると、昭和14(1939)年4月19日、知多半島の師崎より船にて福江港に着き港近くの宿に一泊して、その翌朝、伊良湖岬に向う途中、潮音寺を訪れ俳人杜国の墓に詣でたときに詠んだ句とされています。 

山門 本堂
杜国の墓(中央)と芭蕉・杜国・越人の句碑(右) 山頭火の句碑
≪平成25(2013)年6月3日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成27年2月17日(火):第1402号】