岐阜・治水神社  場所の地図

 昨日紹介した「木曽三川公園センター」の南側に今日紹介する「治水神社」があります。木曽三川公園センターを見学した後、立ち寄りました。治水神社の祭神は、世に名高い木曽三川の宝暦治水工事に一身をなげうって立ち向かい、工事を完成させた薩摩藩士の総責任者である平田靭負(ゆきえ)です。
 神社の由緒がパンフレットに次のように書かれていました。

 江戸時代の中頃、徳川幕府は、木曽三川の水害で悩む濃尾平野西南部の住民を救うため、薩摩藩にお手伝い普請を命じました。薩摩藩士らは、経験したことのない水の流れに苦しみながら、この地方の住民のため、多大の犠牲を払い、万難を排して工事を見事完成させました。
 平田靭負は、この工事の総責任者で、幕府の検分が終わった宝暦5(1755)年、多くの犠牲者を出し、予想外の出費を余儀なくさせられた責任を一身に引き受けて命終しました。薩摩藩の経済を破綻させたこの悲劇の大工事は、永く伏せられていました。その後、地元の人々の報恩感謝の熱い思いにより、現在の地に、平田靭負を祭神とし、この大工事を完成させた薩摩藩士の功績を讃え、平田靭負の遺徳を偲び、犠牲となった多くの藩士達を慰霊し、併せてこの地域一帯が水害を免れるよう祈って、治水神社が創建されました。

 境内は、木曽川と揖斐川が合流する地点にあり、平田靭負ら薩摩藩士達自らが完成させた木曽三川をいつも見ることができるようになっています。彼らの功績に感謝しつつ治水神社を参拝しました。  

「治水神社」参道 治水神社 社殿 宝暦治水工事犠歿者石碑
≪平成26(2014)年2月28日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成26年3月23日(日):第1071号】