馬場美濃守信房ゆかりの地

 馬場美濃守信房(信春)は、武田四天王の一人で、設楽原の戦いにおいて、敗走する武田軍において、殿(しんがり)軍を努め、勝頼が退却するのを見届けると、自身は反転して追撃の織田軍と戦い、戦死したといわれています。享年61歳。豊川(寒狭川)沿いの新城市出沢(すざわ)が戦死の地とされており、石碑もあります。なお墓所は、出沢ではなく長篠城址に近い新城市長篠字西野々の住宅地にあります。
 【平成23年7月14日(木):第88号】で紹介した大通寺の盃井(さかずきいど)は、明日の奮戦を誓い、今生の別れとして泉の水を馬柄杓で汲み寄せ、腰に挟んだ水呑を以てこれを飲んだ場所です。
 【平成25年5月23日(木):第767号】で紹介した医王寺山武田勝頼本陣跡は、国指定史跡「長篠城址【平成23年6月13日(月):第57号】」・市指定史跡「馬場美濃守信房の墓」を南に控え、「鳶ヶ巣砦」跡をはじめ武田軍陣地の全部が展望できる位置にあります。

 戦死の地  場所の地図
 新城市出沢(すざわ)。豊川の西側を走る旧257号線から西にある山道を100mほど登る「戦死の地」の石標があります。となりに「緒巻桜」の説明が次のようにありました。

 馬場美濃守は当地に於いて主君勝頼を見送った後、この緒巻桜の下にて、首を与えたと言う。

≪平成25(2013)年2月1日撮影≫

 墓  場所の地図
 新城市長篠字西野々。国道151号線にある「こんたく長篠」【bX7】の南側100mほどのところにあります。
 墓の前に、新城市文化財としての次の説明看板がありました。

 新城市指定文化財 昭和46(1971)年6月12日指定
 天正3(1575)年長篠の戦いに敗れて退却する、武田勝頼の最後尾を守りぬいて戦死した、馬場美濃守信房の首を埋めた所といわれている。
 高さ:1m41cm 幅:97cm 厚さ:24cm

≪平成25(2013)年5月24日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成25年6月1日(土):第776号】