古戦場めぐり【岡崎観光きらり百選 bV】

 岡崎市内にある今川軍と織田軍の合戦など各所に残された戦乱の跡である古戦場5箇所が、「岡崎観光きらり百選」に選ばれていますので紹介します。  

井田野古戦場  場所の地図

 松平四代親忠が応仁の乱のとき、尾張品野、三河伊保の兵と戦って以来、家康の時代に至るまでの約100年の間に数回の激しい戦場となったところです。「千人塚」が戦国の非常さを語りかけています。(右写真の千人塚前岡崎観光百選の説明文より)

 西光寺から南方向へ100mほどのところにあります。西光寺の境内に場所を示す案内掲示があります。
≪平成24(2012)年5月10日撮影≫
井田城跡  場所の地図
 岡崎発展の歴史にはその基礎に井田城の存在があり、徳川300年の太平に大きな役割を果たしました。
 応仁より天文年間までの約100年に亘り特筆される激戦が4回もあり、いわゆる井田野の合戦と云われ、これに勝ち抜いたのでやがて徳川が覇を制することができました。
 ここ井田城は、岡崎城と大樹寺を結ぶ直線上にあり、連携もよく眼下は一望の平野が開け、天然の堅塁としての地形を具備して居り、この井田城を守る代々の将兵は強く、堅忍不抜 勇猛果敢の精神は、ここで培われ父祖伝来の三河武士の魂は井田城に於いて発揮されました。(右写真の井田城趾碑南側にある晴明白龍大神宮縁起より)
 井田公園東側にある城山公園の山頂に城跡の石碑があります。
 ≪平成25(2013)年2月19日撮影≫
西光寺(さいこうじ)  場所の地図
 応仁元(1467)年8月23日、松平4代親忠と、寺辺、伊保、八草、挙母、上野の土豪の軍が、この辺りで激しい戦いをしました。勝った親忠は、戦死者を敵味方の区別なく葬りました。ここ西光寺には、家康が桶狭間の戦い後、大樹寺に逃げ込んだ際、追手の織田方と戦って倒れた多くの僧を葬った大衆塚もあります。(右写真西光寺本堂前の岡崎観光文化百選の説明文より)

宗派:浄土宗鎮西派
山号:長親山
≪平成24(2012)年5月10日撮影≫
渡古戦場  場所の地図

 清康(家康の祖父)死後の松平氏の内輪の争いで、清康の子広忠と、尾張の織田氏に寝返って岡崎城乗っ取りを企てた三ツ木城主松平信孝と戦ったところです。結果は、鳥居忠宗の奮戦により、広忠が勝利を治めました。(右写真古戦場前岡崎観光文化百選の説明文より)

 渡町にある諏訪神社の北側に石碑があります。神社の片隅のため、見逃してしまいます。神社内をゆっくり散策してください。
 ≪平成23(2011)年6月22日撮影≫
小豆坂古戦場  場所の地図

 尾張の織田と駿河の今川が二度に渡り激戦を繰り広げたところです。この戦いで雌雄は決せず、以後両者の対立は桶狭間の戦いまで続くことになります。
 また一向一揆の戦場ともなり、家康が門徒と戦いました。今日、古戦場の面影はなく、「小豆坂古戦場」の碑に昔日を偲ぶだけです。(右写真古戦場前岡崎観光文化百選の説明文より)

 「光ヶ丘女子高前」信号から県道26号を50m程南下した道路左手(東)に碑と説明板があります。
≪平成24(2012)年3月8日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成25年2月20日(水):第675号】