布里城址  場所の地図

 新城市布里地区には古城址があります。毎年、山門施餓鬼にお邪魔する普賢院様(【平成23年8月14日(日):第119号】参照)の東側500mほどのところにある小高い山がその布里城址です。
 布里城址の歴史は、「愛知のお城・戦国武将ゆかりの地を歩く!」「東三河を歩こう」を参照に、私ながら次のようにまとめました。
 田峯菅沼氏の支城のひとつで、別名・『栗峯城』といい、布里合戦の舞台となったお城です。布里合戦の背景とその経緯は次のようです。
 三河をほぼ支配していた松平清康の死後、三河は今川氏の領国でしたが、尾張の織田も三河に侵攻をはじめ、三河の郷族たちは、【今川】、【織田】のどちらかについて存続を図る様になります。そんな中、弘治元(1555)年田峯城主・菅沼定継が作手の亀山城主奥平貞勝と共に今川義元に背いたため、弘治2(1556)年5月戦となり、織田方の奥平貞勝は今川の援軍に敗れて降伏、菅沼定継は菅沼一族の中で孤立し、田峯城に逃れることなくここ布里の地で自刃しました。

城址全景 城址山頂にある仏像や祠
≪平成24(2012)年12月8日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成24年12月11日(火):第604号】