徳川家康渡船之所  場所の地図

 豊田市の南東部分、矢作川右岸に徳川家康に関する遺跡を見つけました。「徳川家康渡船之所」という石碑が、矢作川堤防の片隅に立っています。
 由緒を調べてみました。
 永禄3(1560)年5月1日「桶狭間の戦い」で、今川義元討死を聞いた家康(当時は、松平元信)は、大高城を脱し、刈谷城主家臣の案内で、鳴海から地鯉鮒(現在の知立)、隣松寺(配津村:現在の豊田市配津町)を経て、配津村の神退より、配津村の船頭の案内で矢作川を渡り、5月21日無事に大樹寺に着きました。時に家康19才の時でした。家康を案内し、舟で仁木村へ渡した船頭は、銀銭3文と長刀一振の書付を頂いたとあります。
 石碑の一面には、そのことを記述した次の文面が刻字してあります。
 「大高城ヲ脱シ神退ヨリ仁木村ヘ臣下7人、船人配津村半三郎銀銭三文長刀一振書付受ク」

 私の日記では、すでに家康の記述は24号にわたり出てきています。さすが日本の歴史を彩る大物です。県内いや日本のいたるところに家康に関する歴史が残っていることでしょう。

石碑全景 現在の矢作川。当時家康は、ここから船で
大樹寺に向かいました。
≪平成24(2012)年7月26日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成24年7月31日(火):第471号】