於フウの墓  場所の地図

 鳳来寺山参道入口から北方向へ約1.5km、鳳来寺小学校の南側で、急カーブで急坂道のふもとにひっそりとあります。車で通りすぎると、何本かののぼりが立っています。何だろうと思っていたのですが、それが於フウの墓でした。
 墓前にある新城市教育委員会の説明には、次のようにありました。
 
 人質 於フウの墓  【日近(現岡崎市桜形町)城主奥平貞友の女】
 作手亀山城主奥平貞能(さだよし)が、武田氏に属した時、貞能の二男仙千代、萩(現豊川市萩町)城主周防勝次の男虎之助と共に人質として甲州に差遣わされたが、天正元(1573)年貞能親子が徳川氏に帰参したのを怒った武田勝頼の命により、山県昌景によって同年9月21日この地において処刑された。享年16才。 

 【平成23年12月2日(金):第229号】では奥平仙千代の墓を紹介しています。

≪平成24(2012)年1月11日撮影≫

   釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成24年1月30日(月):第288号】