姨捨(おばすて)伝説  姨捨SA下り線場所の地図

 長野県へ行った時、よく長野自動車道「姨捨」サービスエリアで休憩します。この姨捨SA(下り線)に興味をひく説明板がありましたので紹介します。

 民話「おばすて山」
 昔、年寄りの大きらいな殿さまが、おふれを出した。「60歳になった年寄りは山へ捨てること」ある日のこと、60になった老母を山へ捨てようと、背中におぶって山道を登った男が母を残して山をおりるころには、もうあたりはまっ暗やみ。途方にくれていると母親はいった。「ここへくる道みち、枝を折ってきたから目印にしてお帰り」。それを聞いた息子は泣きながら又、母親を背負って山をおりると、こっそり家の床下に隠した。
 それからまもなく隣りの国から、灰で縄をなえ、できないと国を攻めるゾと難題を持ちかけてきた。殿さまは国中にふれを出したが誰も答えられない。すると床下の母親は塩水にひたしたワラで縄をなって焼けばいいと息子に教えた。隣りの国はさらに又、玉の曲がりくねった穴に糸を通せといってきたが、誰にも分からない。今度も母親は、一方の穴に蜜をむり反対から糸をゆわえた蟻を入れればいいと教えた。殿さまは喜んだ。ほうびは望むままといわれ、男が実は・・・と母親のことを打ち明けると、殿さまはいたく感心、以来、年寄りを大切にしたという。

 「姨捨」の現代的意味  更埴市観光協会
 乏しい食生活で、口べらしのために年寄りを野山に捨てるという風習は、原始時代から世界各地にあったと思われます。
 この悲しい風習をなんとかなくそうと、今から2500年ほどのむかし、インド仏教や中国の儒教によって、親子の愛や人生の輪廻、老人の智恵などの倫理・道徳感で説かれてまいりました。
 この教えがわが国へも、1500年ほど前に、仏教とともに入ってきました。そして説教や昔話の形で流布されました。かくして、400年後の西暦950(天暦4)年、月になぞらえて、和歌や物語となり、そして俳句などの短詩形文字に発展していきました。
 棄老伝説は全国的に各地で語りつがれてきました。しかし今に至るまで残っているのは、わが更埴市の姨捨だけです。遥か東の空に鏡のように昇り、千曲川の流れに映え、田毎に映える名月によって暗い棄老伝説を明るいものに転化してくれた思いやりの心であったと思われます。
 しかし世の中は大きく変りました。老人はあきらめたり、捨てられたりする消極的な考え方から立ちあがらなければなりません。新しい時代に即応した生き方が「老人自らの意識の転換」のもとに要求されるようになりました。

説明板に添えられている切り絵
≪平成23(2011)年11月30日撮影≫

    釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成23年12月7日(水):第234号】