奥平仙千代の墓  場所の地図

 鳳来寺山参道入口の左手に、ひときわ大きな石碑が建っています。それが、「奥平仙千代の墓」です。
 墓前にある新城市教育委員会の説明には、次のようにありました。

 奥平仙千代の墓  新城市教育委員会
 作手の奥平貞能(さだよし)とその子貞昌(後の長篠城主)は元亀2(1571)年武田信玄に降伏したので、次男仙千代らを武田方へ人質に出すことになった。
 天正元(1573)年になって貞能親子は武田氏に背いて徳川家康についたので、武田勝頼は、彼を門谷の金剛堂前で処刑したという。      

奥平仙千代の墓 近景 奥平仙千代の墓 遠景
≪平成23(2011)年7月22日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成23年12月2日(金):第229号】