鳥居強右衛門(とりい すねえもん)  磔の地場所の地図

 【平成23年6月13日(月):第57号】で報告した長篠城趾の中で、『長篠の戦いでのヒーロー「鳥居強右衛門」に関する資料』として、史跡保存館内の写真を紹介しましたが、もう少し詳しく鳥居強右衛門について紹介したいと思います。
 実際に、強右衛門が磔になった地点は、天然の要塞である長篠城の南側を流れる岩代川(豊川)対岸です。現在では、記念碑が建っていますが、杉林になっており、対岸の長篠城趾を見ることはできません。

 天正3(1575)年5月1日、甲斐の武田勝頼は1万5千人の軍勢を率いて、長篠城を取り囲んだ。奥平貞昌を城主に、わずか500人の兵が長篠城に籠城した。城の兵は、武田郡の猛攻をよく防いだが、落城寸前となってしまった。
 この時、城主の命をうけた鳥居強右衛門と鈴木金七は川伝いに城を抜け出し、家康のいる岡崎城へ援軍の要請に向かった。家康と信長に会い城内の様子を伝えた強右衛門は、「援軍来たる」の返事を待って一足先に城へと向かった。かんぽう山で合図の「ノロシ」をあげた強右衛門は、城中へ戻る途中、有海(あるみ)の篠場野で武田軍にとらえられた。
 強右衛門は、武田方から「”援軍は来ない”と言えば助ける」と言われ、城中が見渡せる場所へ連れてこられた。城兵を前にして強右衛門は、「援軍は来る」と大声で叫んだ。
 勝頼は、「勇気の士」としてその行動をたたえたが、武田の将兵によって、この地で磔となった。この強右衛門の行動がきっかけとなり戦いの舞台は、長篠から設楽原へと移っていった。 
 
強右衛門に関するエピソード(磔地点の説明文より) 強右衛門の磔姿
強右衛門磔の地に建つ記念碑
≪平成23(2011)年7月12日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成23年7月13日(水):第87号】