大岡越前守陣屋跡【岡崎観光きらり百選 bP】  場所の地図

 岡崎観光きらり百選のbPに指定されている史跡が「大岡越前守陣屋跡」です。なぜbPなのかと一覧表を見ていたところ、項目ごとの五十音順とわかりました。
 岡崎インターから国道一号線を南側に500mほどいき、一号線を東に200mほど入ったところにあります。岡崎大平郵便局の東側すぐの所です。
 ここを訪れるまで、よくテレビの時代劇で登場する「大岡越前守忠相」が、岡崎に縁のある人だということを知りませんでした。


 「大岡裁(さば)き」で名高い大岡越前守(えちぜんのかみ)が、
1万石の大名となってから明治まで、西大平藩主大岡家の陣屋
が置かれたところです。
 陣屋は明治維新によって廃止されましたが、藩主をしたう旧藩
士や領民から、陣屋跡を保存すると同時に、旧藩主に東京から
移住を願う声があがり、大岡家別邸として復活しました。
岡崎観光きらり百選の解説 陣屋跡の門と塀
                 西大平藩
 西大平藩の成立は、大岡忠相が寛延元(1748)年に奏者番兼寺社奉行に就任して三河国宝飯・渥美・額田3郡内で4080石を加増され1万石の譜代大名となり、西大平に陣屋を設置したことに始まります。安政元(1772)年以降は藩領の変動はなく、1万石の内訳は三河国4郡内に9千余石、上総・相模の2国2郡で1千石余となり、大部分が三河国内に所在していました。

               大岡越前守忠相
                           【延宝5(1677)年〜宝暦元(1751)年】
 「大岡裁き」で有名な大岡越前守忠相は旗本の家柄に生まれ、徳川八代将軍吉宗の下で江戸町奉行として仕え、享保の改革を断行する大きな原動力となりました。著名なものに、相対済まし礼・目安箱・小石川養生所設置、いろは四十七組の町火消の組織化、江戸防火対策である火徐地(ひよけち)の確保と「瓦ぶき」屋根とする建築基準の設置など、江戸庶民の生活向上に力を注ぎました。また問屋・仲買・小売の流通段階での株仲間組合組織化や、金銀相場の改定・通貨改鋳による物価安定などを打ち出し、幕府財政の立て直しを図りました。晩年は譜代大名にとりたてられ、奏者番兼寺社奉行として職務を全うしました。宝暦元年に75歳で没し、相模国堤村(現神奈川県茅ヶ崎市)の浄見寺に葬られました。

                         (以上の解説が史跡の中にありました。)
陣屋の内部
≪平成23(2011)年8月16日撮影≫

釣月寺和尚の一日一題 話題提供 【平成23年8月29日(月):第134号】