現代社会ではいたるところに境界線が敷かれている、どこが境界線なのか、境界線を越えるのか、越えないのか。
渋谷という地名の由来には二とおり説がある、江戸時代に作成された文献「新編武蔵風土記稿」ともう一つの説は、「金王八満神社社記」による。
新編武蔵風土記稿によれば、昔この辺りを「塩谷の里」と呼んだことに由来する。土中を掘ると青い砂や、貝が出土するなど、昔この辺りが海辺であったことがわかり、そこから塩谷の名が生まれ、その後塩谷が渋谷に変わったということだ。
金王八満神社社記によれば、河崎重家の改姓に由来する。桓武天皇の孫高望王の子孫で秩父党の一人である河崎冠者基家は、永承6(1051)年、前九年の役に源頼義に従って功をたて武蔵国豊島郡谷盛庄を与えられた。基家の子重家が源義家に従って京都にいたときのある夜、宮中に盗賊が入り、これを生け捕りにした。賊の名を聞くと、渋谷権介盛国と答えたので、堀川天皇は重家の武勇をほめて、姓を渋谷と改めたため、重家の領地「谷盛庄」のなかに「渋谷」という村が出来たということだ。