再び、南仏プロヴァンス その1

   9月25日から10月2日までの1週間を、妻と二人で南仏プロヴァンスの旅を楽しんできた。
 この間、平日は夏休みを利用し、夏休みで足りない分は有給休暇にした。

ニース湾:天使の湾
 旅といっても、旅行社が主催するパックツアーに参加しただけである。
 個人でで飛行機の予約を取ったりホテルの予約を取る方が多分インターネットの世界では簡単で、しかも料金も安いはずである。
 が、現地での行動はどうしても英語かフランス語が必要となってくる。
 もちろん全くと言っていいほど外国語とは縁遠い。
 まして、都市間を移動する手段も調べていかなければならず、これはなかなか難しい。
 『やっぱり海外旅行へ行くのならばツアーに限る』と勝手に合点して、パックツアーと決めたわけである。
 ヨーロッパに行くなどの長距離の海外旅行の最大の難関が13時間に及ぶエコノミー席である。
 今回も、前回(2002年7月)同様にエールフランス277便(21時55分、成田発)である。
 パリのシャルルドゴール空港に到着するのは午前4時過ぎ、形式的に見れば、所要時間は6時間強だが、この間に7時間の時差が隠されている。
 そのため実質の拘束時間は13時間半近くになるのである。
 これさえ、無事過ぎれば後は楽しい観光となる。
 もちろん、この後に、ジャルルドゴール空港からツアーの最初の出発点となるニース空港に飛ぶのである。
 ただし、これは比較的楽で、時間も1時間半程度である。
 ニース空港と簡単に呼んでいるのだが、正式にはニース・コートダジュール空港である。
 この呼び名だといかにも南仏と言う感じがするのだが、ちょっと長いので、ニース空港となってしまう。

 8時51分、そのニース空港に到着。
ここから「モナコ」の道路標識

 大型バスでニース市内に。天気は素晴らしく良く、事前にインターネットで調べておいた通り「快晴」である。空港からバスに乗り込んでニースに行くまでの間、当地のガイドから詳しいニース周辺の説明を聞く。
 それによると
 『9月下旬から10月にかけてのニースの最高気温は日陰で23度から24度程度、でも今日は少し肌寒い感じがする。ニースは海岸通をずっと通っていくことが出来るのだが、今日はニースの海岸から山の手までを使って国際トライアスロン大会が開かれている。したがって、交通規制が敷かれているため、今日は海岸通を全部見ることが出来ない。これから最初に行くのはシビエ地区と言う閑静な住宅街にあるシャガール美術館である。見学後、ニースの花市・くだもの・野菜市が開かれているところにあるレストランでの昼食。そして、午後はエズ村からモナコを巡って夕方5時過ぎにホテルに到着予定である。もちろんホテルはニース市内の比較的海まで近い、かつ、中心街に使いホテルである。』
など。

モナコ市内、
高いビルがあるところはモンテカルロ
 もちろんこの間、ニースの町の歴史や、コートダジュールと言う名前の由来などかなり細かく説明してくれるのだが、聞いているだけで覚えられるものではない。
 『ああ、そうなんだ!』と思う程度である。

 最初のシャガール美術館では1時間ほど時間を取ってゆっくりと見学。
 ストロボがなければ写真撮影もOKである。
シャガール美術館にて撮影
 シャガール描いた絵画17点とモザイク画1点、そして彼が設計したステンドグラスを堪能し、かなりの作品を写真に収めてバスへ。
 この間もガイドの方が一点一点の絵画の説明を丁寧にしてくれたので、ただ単に見て回るよりも良く理解できたのである。
 もちろん美術館には日本語の説明シートがあるのだが、単にタイトル説明だけで、詳細な説明はない。
 したがって、このようなガイドによる説明があるととっても便利である。

 そして、その後市内に戻り、朝市を楽しんでから昼食。この朝市で、ブルーベリーとスグリを購入(これはホテルで夜食に食べてしまった)。

 昼食後はエズ村に直行。
 ニーチェの小道を通り、更に上に登り、最後のサボテン公園を抜けて城壁の上に出る。
 ここからの景色はまさに絶景。コートダジュール、つまり紺碧海岸の名前の通り、地中海が濃い群青色に見えるのである。
 2年前にここに来た時は、多分2度と見ることが出来ないと思っていた風景だっただけに、同じ場所に立つことができて正に感無量であった。
 天気も抜群で、今回もこの場所だけで10枚も写真を撮ってしまった。
 

再び、南仏プロヴァンス その2

    翌日は、カンヌ、サンポール、グラス等ニースの近郊の町や村を巡る観光。
カンヌ映画祭会場

 カンヌでは、毎年5月に開催される映画祭の会場の見学した。
 カンヌ市内に入った時には通勤時間帯にぶつかってしまっていて、かなりの渋滞となった。
 そのため、会場の場所の少し先まで行ってバスから降り、そこから戻る感じとなってしまった。
 更に渋滞する道路を渡ってからのカンヌ映画祭の会場の見学となった。
 ホール自体は2階建程度で思っていたよりも小さな会場なのである。
 入ってみれば中は広いのであろうが、外形から見る限るはちょっと拍子抜けである。
 それでも、さすがに世界中から有名映画人が集まる所だけあって会場に面した通りには超一流ブランド店が立ち並んでいる。
 その中で、いま一番人気があるのは、パリに本店があるクリスチャン・ラクロワだという。

 そんなカンヌの繁華街から抜けて今度は南仏の田舎道を走る。

上:サンポールのメイン通り
下:シャガールの墓
 しばらくして鷹の巣、とも鷲の巣ともいえる断崖の上に作られた城壁に囲まれた村に到着した。
 サンポール・ド・ヴァンスの街である。
 町自体は縦長の町で、その中心に入り口から一番奥まで貫く細い路地がある。これがメインストリートと言うことであろう。
 入り口から出口までは真面目に歩けば10分程度で縦断してしまうほど小さい村なのである。
 そして行きついた村外れの日当たりの良い場所に墓地がある。
 太陽が燦燦と輝いているなかで白い墓石が並ぶ風景もなかなかいいものである。
 最高に居心地のよさそうな場所を選んで、墓地が作ってあるのだ。
 この居心地の良い墓地に入ってすぐ右側にシャガールの墓がある。
 ローズマリーが良く育っていて墓の上部を埋め尽くしている。
 巡礼者の置いたものなのか小石が墓の上にわずかな厚みとなって積まれている。

 この墓地から、今来た道を通ってゆっくりと入り口のほうに戻る。
 狭いメインストリートの両側かにいろいろな店が立ち並んでいる。
 が、どうもこの小さな町はシャガールの影響もあるのだろうが、画廊が多いようだ。
 細いメインストリートの両側で10件近くの店が絵を展示し商売のために店を開けているのだ。
 そのために、観光地ではあるのだけれども、土産屋の数は極端に少ない。
 その少ない土産屋の一つに入り、いろいろお土産となるものを探したが、取敢えずここでは菩提樹(リンデン)の蜂蜜を買う。
 これは独特の香りと味がして我が家の人気アイテムの一つとなっている。
 日本ではなかなか手に入りにくい一品であることから1kgの大型の壜を購入した。

 土産を買った帰りに、女優のゴクミ(後藤久美子さん)が結婚式を挙げたという村の教会に行ってみる。
 小さな教会なのだが、なかなか雰囲気があって良い。
 教会前の広場もよい。
 教会はこの小さな村の一番高い所にあるようで、この場所からの見晴らしもなかなか良いのである。

 そして、村の入り口まで戻ってくると、時間的には出発までにまだ1時間近く残している。
 この村の入り口にあるカフェに座り、ビールを飲むことにした。
ペタンク風景
 カフェの前の広場では、中年のおやじに交じって、若者達もぺタンク競技(Petanque)を楽しんでいる。
 全くルールが分からないので、何とか理解しようと、黙って30分程見ていたのだが、どうしてもルールが分からない。
 やっている連中はそれなりにハイテンションとなっているので、かなり面白いゲームなのかもしれないのだ。
 このぺタンクについては帰国してからいろいろと調べてみた。
 競技自体は実に単純で面白く、仲間さえ集まれば、是非やってみたいと思う競技である。


フラゴナール香水売り場
 つぎは、グラースである。
 ここも鷹の巣のような町なのだが、サンポールに比べれば町が大きいようだ。
 が、ここでは街中の散策はせずに香水工場へ直行することになった。
 30分程度の順路にしたがっての香水の歴史と作り方を見学して回るコースがある。
 行ったのはフラゴナールと言う香水工場である。
 比較的大きくて観光客の受入体制も整っているからと言うことであった。
 もちろん、見学終了後は直販所に案内されて、後は自由にショッピングとなった。

 ここは女性には実にとっては楽しいところだが、男性にとってはあまり興味が湧かない場所である。
 それでも、イランイランのフレグランスの蝋燭を19ユーロで購入。
 プロヴァンス地方の衣装に関する本も買ってしまった。
 これは中に沢山ある写真が綺麗だったからである。

 そして夕方に再びニースのホテルに戻って来た。
塩辛かったムール貝のプロヴァンス風
 時間的にはかなり早かったのだが、良い天気の中で相当の距離を歩き回ったことからちょっと疲れが出た。
 部屋に戻ってシャワーを浴びてから夕食までの間、少しだけ仮眠をとることにした。
 夕食はホテルから歩いて数分のところにある地元のレストランである。
 メインディシュはムール貝のプロヴァンス風、つまり、オリーブオイルをニンニクで香り付けし、その中にムール貝を入れ、更に白ワインをたっぷりと入れた調理したもので、これにハーブを絡めたものである。
 これを食べ始める前に、合わせる飲み物を聞かれたので白ワインをボトルで頼んでみた。
 このワインはよく冷えていて非常に美味かったが、ムール貝は塩が強過ぎて自分用に取り分けた一皿分を食べるのがやっとだった。
 一緒に行ったツアーの皆さんもしょっぱさには閉口したらしく、意外な程、沢山残ってしまっていた(ムール貝は大きな容器に入ってきており、これを各人自分の好きなだけ自分の皿取り分けるという料理の出方だった。)。
 

再び、南仏プロヴァンス その3

 

マルセイユ
旧港正面での朝市
 ニースに2泊した後は、古都エクス・アン・プロヴァンスに泊まることになる。
 したがって今日の行程は、今までの宿泊地ニースから一気にマルセイユに行き、マルセイユでいろいろ見学した後、そこで昼食を摂り、その後エクスに入る行程だ。
 朝一番の仕事は、バスに積み込むスーツケースの点検と確認である。
 そして、この点検の後に朝食となる。
 この二日間の朝食はホテルのレストランでのいわゆるバイキング形式なのだが、数種類のパン、4種類のチーズ、野菜、ヨーグルト、生ハム、ベーコン、紅茶、コーヒー 、牛乳、各種果物、シリアルなどがあり、好きなものを好きなだけとれば良いのである。
 で、この二日間の自分の朝食パターンは、コーヒーに自分で自由に切ったバゲット、生ハム、チー ズ2種(これも自分の好きな量に切り分ける)、野菜に果物、ヨーグルトと言ったものになった。
 日本にいるときは、平日はほどんとヨーグルトだけで済ませていた朝食だっただけに、カロリーの取り過ぎが気になったが、そんなことを気にしていては旅を満喫できないし、良く歩き回るための体力も持たない。
 朝食をおえて、ニースのホテルを午前8時に出発する。
 「イギリス人の散歩道」といわれる海岸通りに出て、西へと進む。
 途中、ガイドの人からエクスやマルセイユの歴史などを細かく聞くのだがそんなことよりもどんどん変化して行く車窓の景色の方が興味がある。
 葡萄畑やオリーブ畑が続き、赤茶けた大地が広がる。
 遠くの丘や林の中に点在する古い城跡や石が崩れ始めた城壁、オレンジ色の屋根瓦の農家など「プロヴァンス」がすぐそこにあるのである。
 プロヴァンスに来ていてプロヴァンスがすぐそこにあるとは矛盾した表現なのだが、ニー スやカンヌと言った都会を見て、更に「高速道路」を通っていると、これだけではいまいち「南仏プロヴァンス」にいるという実感がないのである。
(上)ノートルダムドゥラギャルド
(下)寺院の内側

 どうも、これは、自分だけの感覚なのかも知れないのだが、「プロヴァンス」という言葉の響きやこの地方を背景とした映画などの影響もあるのだろうが、葡萄畑の中に点在する赤茶けた土壁の農家とか、川沿いに見え隠れする漁師の家とか、自分の心の中でもっともっと多くの田園風景を期待しているのかもしれないのだ。
 そんなことを考えていたら、バスはいつのまにか南仏最大の都市、マルセイユの市街に入っていた。
 メインの通り道は広くてスムースにバスは走れるのだが、脇道に入ると道路が狭い上にかなり渋滞している。
 そのため、10時過ぎに着く予定であった旧港の旅行案内所に到着したのは10時45分頃。
 ここで全員下車。
 時間的にはそろそろ終わりかけているマルセイユの旧港正面での魚の朝市を見学する。
 そして旧港の無数に停泊しているヨット群などを見つめながら十分に地中海の香りを満喫した。
 そして今度は、この旧港の正面にみえるノートルダム・ドゥ・ラ・ギャルド寺院へバスで登る。
 この寺院の展望台からは、南に地中海、そしてすぐそばにあるイフ島が望める以外は、ほとんどマルセイユ旧市街地が一望できるのである。
 この寺院は船の安全を守る神様とも言われており、いろいろな国から安全祈願のための船の模型が多数納められているという。
 ところが、この寺院で一番興味を惹かれたのは、通風口からの香りである。
 時間はちょうど12時。
 寺院を1周することができる2階の外回廊の途中にある通風口のひとつから実に良い香りが流れてくるのである。
 香りから判断すれば、ニンニクと各種ハーブで鶏肉を炒めているようでありオリー ブオイルの香りも流れてくる。
 今日の朝食も比較的早い時間だったことから、この香りにたまらなく食欲を刺激される。
 そうだ、昼食だ!と思いバスに急いで戻ると既に全員が集合していて、我々待ちの状態となっていた。
 昼食をとるために再びマ ルセイユの旧港に戻った。
 レストランは先程魚市場が開かれていた所から程遠くない海岸沿いのレストラン群の一角である。
 ブイヤベースが美味いレストラン「ミラマール」から数軒おいた市街地に近いところにある「Au Sanglier」と言う名前のレストランである。
 日本で言えば「イノシシ屋」と言うことになるのだろうか。

(上)ミラボー通り
(下)ミラボー通りのカフェ

 食事の後は、一気にエクス・アン・プロヴァンスへ行く。
 バスを、エクスの観光案内所の所で降りて、歩いてエクス市内の観光となる。
 このバスを降りたのが町の中心地のロトンド噴水の所である。
 ここはミラボー通りの基点ともなる。
 ここから歩いてミラボー通りを一番奥まで行く。
 そして、旧市街地へ入るために、建物の1階がアーチ状になったところを通って、市庁舎前の広場へ出る。
 ここで20分くらいの自由行動。
 早速、そばにあった生地屋に入って、セミ柄の布を3メートル購入。
 これが実に安い。
 9ユーロ/1メートルなのである。
 確かにソレイヤードではないので、安いのかもしれないが気に入った柄と色があれば先ず「買う」ことにした。
 市街地を少し過ぎたところで、再びバスに乗車。
 エクス市内からやや離れた場所にあるセザンヌの写生場所に行く。
 エクスの名所というのか、セザンヌの絵で有名になったかは分からないのだが、正面に「サント・ヴィクトワール山」が見える。
 とても見晴らしの良い高台である。
 セザンヌの絵に何十回もくり返し描かれているのと同じに形に、サントヴィクトワール山が正面に見える。
 ここは閑静な住宅地の一角で、この場所から50メートルくらい下った所までが細長い公園となっている。
 サントヴィクトワール山をカメラに納めてふと足元をみると、これがハーブである。
 ローズマリーはあたりまえとしても、チコリ、マロウ、フェンネル等が雑草の如く咲いているのである。
サン・ソーブル大聖堂

 もちろんここは公園となっているので、この時期の花壇の中には秋の草花が乱雑に植えられているのだが、ハーブも公園の中をウネウネと降りていく道の両側にもずっと植えられているのである。
 公園を抜けてそのまま徒歩で5分くらい行ったところがセザンヌのアトリエである。
 ここは幾度もテレビで紹介されていたので直接見たことがるような「既視感」があった。
 が、実際に行くのは初めてである。
 かってはエクス市内が良く見えた高台と言うことだったが、100年も経った今は、家の前の木立が高く生い茂り、セザンヌのアトリエがある2階からも殆どエクスの町が見えないのである。
 アトリエの見学は18名は多いということで2回に別れて案内・説明があった。
サントビクトワール山

 2階にあるアトリエに入ると意外に狭いのである。
 と言っても大体40畳ほどの広さだろう。
 北側の窓は腰から上以上、天井までガラス張りでそこから見える陽を浴びた緑が部屋を明るくしている。南側の窓は小さく2つある。
 これは普通の両開きの窓である。
 部屋には実際に使った筆やデッサンなどもあり、「確かに見た」という充実感がある。
 ただし、写真撮影が堅く禁止されているのでちょっと残念な気がした。
 アトリエ見学後、再びバスに乗り、今夜のホテル、アクアベラに到着した。
 1階のフロント前に自分の荷物が着いていることを確認して、部屋に入る。

 まだ午後5時前である。
 外は明るい。
 でも、疲れを取るために先ずシャワーを浴びる。
 今日は本当に気持ち良く気持ち良くお湯が出る(結構、フランスではお湯がちょろちょろとしか出ないホテルもある・・・うん?安いホテルか?)。
 夕食の7時までにはまだ時間がある。
 妻と近所を散策することにする。
 妻がどうしても娘の住んでいたアパートまで行きたいという。
 ここには2年前に一回来ているのでなんとなく土地勘がある。
 エクスの市街はミラボー 通りを中心に、旧市街地を半月状に取り囲む大きな通りがある。
 この道さ忘れなければ迷子にならないのだ。
 そんなうろ覚えの知識で夕方の町に出る。
 ホテルの前の大通りをグルリと右回りして何とか娘のアパートに行きつく。
 とは言っても、娘はいるわけでもなく、また、アパートの入り口のキーの暗証番号もわからない。
 そして窓がある通りに行って、「2階のあそこの部屋だよ。」と教えることができた。
 そしてその後、いろいろな街角を巡って町の様子を見学したり、商店街でウィンドウショッピングをしたりしながらホテルに戻る。
夕食時に頼んだ地ワイン

 戻るとちょうど食事時間である。
 夕食はホテルの隣に設置されたレストラン風の建物で摂ることになっている。
 豚肉料理であったが、夕食時のお酒は地元プロヴァンスのロゼをフルボトルで頼んでみた。
 ソムリエが来て、ワインのラベルを見せてくれて慣れた手付きでカヴァーを切りコルクを開けてからコルクにしみ込んだ香りを確認する。
 そして、ワイングラスに4分の1ほど注ぐ。
 こんな飲み方は20年振りで思わず緊張してしまったが、とりあえずワイングラスを持ち上げ軽くゆすって香りを確かめたあと、少量口に含んでみた。
 美味しいのである。即OK。
 夕食を食べ始めたところで、アメリカ人と思われる正装をした一団、大体20名くらい、が入ってきた。
 賑やかである。
 騒いでいる内容をよく聞くと、夕食後ホテルのそばにあるにあるカジノに行くと言っているらしい。
 カジノに行くのならば正装が必要なようだ。
 

再び、南仏プロヴァンス その4

 

円形闘牛場
 今日もホテルの移動日である。
 早朝に荷物をスーツケースに整理・つめ込みもっていって、移動のためのバスのところで自分のスーツケースがあるかの確認をする。
 その後、ホテルのレストランでいつもの朝食をとる。
 ここでの朝食も軽いバイキング形式である。
 たっぷりのサラダとチーズ2種。
 ヨーグルト、生ハム。バゲット、コーヒー、リンゴと、また今日も、頬張ってしまった。

 やっと分かったのだが、このような、ある意味で主菜等に温かいものがないホテルなどの朝食形式をコンチネンタルと呼ぶらしい。
 食事の終わる頃に、昨日の陽気なアメリカ人の団体がレストランに入って来た。
 昨夜とは異なり、アメリカ人らしいラフで派手な服装になっている。
 陽気で明るく朝からガンガン食ってしゃべっている。
 今日は食事後、すぐに出発である。
 早朝の高速道路をアルルに向かう。最初の観光場所はゴッホの絵で有名な「はね橋」である。
 と言っても観光用に最近作られたもので、掛かっている橋も場所も違うということである。
 そのため、早朝ということもあってか、観光客が誰もいない。
 こんな観光施設でもない所にある「はね橋」をバックにして記念撮影をしてしまった。
 考えてみれば、日本だって、昭和になってお城を鉄筋で建てたりしているんだから似たようなものだということになる。
 そんなことは言ってもしょうがないのだが、やっぱり言いたくなってしまうんだよなぁ
 はね橋など、なければなくてもその場所であれば良いのである。
 偽物に時間をかける必要のない場所ではないかと思った次第である。
円形闘牛場から見た
アルル市内とローヌ川

 はね橋からアルル市内へ入る。
 今度はバスから降りて円形闘牛場を見学。
 外からみるとかなり大きな施設に見えるのだが、中に入って中段の座席に座ると、意外に狭いような気がする。
 ところが、ガイドの説明を聞くと、ここに3万人が入るという。
 しかも、古代の石作りの闘牛場で今でも定期的に闘牛が開かれる場所で2000年にわたって生きているというのも驚きである。
 説明を聞きながら闘牛場の一番高い所にある塔に登ってみる。
 アルルの街が一望できる。
 そして、遠くに街を貫くようにローヌ川が本当にゆったりと流れている。
 アルルもエクス・アン・プロヴァンスと同様に大きな近代的なビルなどは1棟も建っておらず、オレンジ色の瓦屋根がローヌ川まで続いている。
 この円形闘牛場の見学を終えて、次はゴッホが入院したという病院跡を見学。

 でも、ここはちょうど庭の花の入れ変えのときだったので時期的には最悪で、庭は一面裸の土がそのままという状態になっていた。
 ゴッホの絵に描かれていた庭の艶やかな花の咲き乱れる状況を満つことができず、これにはちょっと残念な思いがした。
 少なくともゴッホのこの病院を描いた絵には、庭の華やかな花が沢山描かれていたのに、と思った次第である。

 そこから街の中心の広場に出る。
 ここでしばらくガイドから、この街の歴史などの説明があった後に、50分程度の自由時間と言うことになった。
 ところが、説明を聞いている最中から、激しい腹痛に襲われてしまい、説明終了後にガイドにトイレの場所を尋ねる始末。
 結局、この広い市庁舎前の広場では、市庁舎の一角にある観光客用のものが1番近いところだと分かった。
 急いで行ってみると、トイレは男女1組ずつしかなく20人くらいの行列が出来ている。
 しかも、男も女も同形式のトイレだもんだから、女性も平気で男性トイレに入るために並んでいるのである。
 わずか3名くらいしか男性がいないのに、男性トイレには入れるまでは10名程の用足しを待たねばならない。
 我慢・我慢で何とか対応が出来たが、冷や汗をかいたのは言うまでもない。
 教訓として、今後海外旅行に行く時は、腹痛が一発で治まる薬(最近、水なしで飲めるもので、直ぐに効くと言う薬が発売されているようだ。)を絶対に持参しようと堅く心に誓ったのである。

 やっとトイレに行けたことでほっとしてから時計を見る。
 自由時間はあと30分もない。
 妻に迷惑をかけるわkr¥絵にはいかない、当初ここで買い物をしようと言っていたので、急いで広場から少し奥に入ったところにあるソレイヤードのアルル店に走った。
 今回の目標である「ソレイヤードの生地でテーブルクロスを」を達成するためである。
 妻と二人でやや焦りながら生地を物色。
 大きな柄の明るい黄色を基調としたものと、細かいセミの図案化したものとの2種類をそれぞれ3メーターずつ購入した。
 が、メーター27ユーロである。単純に計算して
  27ユーロ*3メーター*2枚=162ユーロである。
  162ユーロは162ユーロ*140円=22680円となる。
 なかなか思いきった買い物である。
 これで妻の持って来たユーロの半分近くがなくなってしまったはずである。
サン・ヴェネゼ橋

 このあとアルルのフォーブス広場からバスの待っている所に通り抜け、昼食のためアヴィニョンに向かった。
 アヴィニョンでバスを降りた所はサン・ヴェネゼ橋の近く。あのフランス民謡で有名な「アビニョン橋」である。
 石造りの巨大な橋が、ローヌ川の幾度もの氾濫によって作っては壊れ作っては氾濫で持っていかれを繰り返し、結局途中で切れてしまったものである。

 バスの止まったところから、アヴィニョン法王庁の城壁の割れ目から市街に入り、その傍にある予約してあったレストランへ入る。
 昼食は、前菜、メインの鶏肉煮込み料理そしてデザートとなる。  今日も天気がよく、カラリと晴れている。
 そして、アルルでもかなり歩き込んだことから喉がカラカラである。
 レストランに辿り着いて最初にビールを注文。
 このビールの実に美味いこと・・・本当に感激。

ポン・デュ・ガール
筆者写り込みのためモノクロ

 昼食を終えて再びバスに乗り、世界遺産のポン・ジュ・ガールに行く。
 駐車場から1kmくらい歩いたところに世界遺産となった水道橋がある。
 観光案内所をぬけてゆるやかな坂道で写真を撮りながら歩くと、突然超巨大な石作りの橋が見えてくる。
 ローマ時代に作った水道橋である。
 遠くから見ているので大きさの実感が湧かない。
 ところが、橋に近づくに従ってその大きさに圧倒される。
 一つ一つの石の大きさにも圧倒されるのだが、それを組み合せてアーチを幾重にも連ね、その上に一定の傾斜を持たせた水道を作り、水の流れを制御した技術の高さに驚くのである。
 橋の下の流れはローヌ川の支流の一つである。
 この川は思っていたよりも綺麗で、魚が泳いでいるのが良く見える。
 この穏やかな流れに小学生がカヌーを繰って流れて来たり、観光客らしい一団が大きなゴムボートでゆったりと流れを楽しんだりしている。
 こんな楽しみ方もあるんだと思う反面、なんで日本のツアーはこんな楽しみを取り入れてくれないんだろうと不満というのか疑問に感じるところである。
  で、 橋の大きさに比べて人間の小ささにびっくりする。

法王庁

 ポン・ジュ・ガー ルからアヴィニョンに戻り今度は徒歩でアヴィニョン市街、つまり城壁内の見学となった。
 サン・ヴェネゼ橋の入り口から入り、最初の見学場所が旧法王庁である。
 ここは旧法王庁の中に入っての見学であった。
 残念なことにカメラが撮れない、撮影禁止なのである。
 1時間以上にわたりガイドが細かい説明をしてくれて法王庁内部を歩き回ったが、結局、外観の大きさも凄いし、内部の複雑さも相当なものである。
 更に、ここでの歴史はもっとすさまじく最後に辿り着いた地下にあるお土産売り場でやっとほっとした感じであった。
 お土産売場の出口から地上に出ると、明るいアヴィニョンの青空が待っていた。
 再び法王庁前の広場に集合して歩いて市庁舎前まで行く。
 ここでしばらくこの町の概要の説明があった。
 その後、ホテルにバスで直行した。

 ホテルはアヴィニョンの城壁の外側で、フランス国鉄在来線のアヴィニョン駅の隣にあるアヴィニョングランドホテルである。
 ここで今夜と明日の晩の2泊となるのだが、部屋に入って驚いてしまった。
 今までのホテルとは違って超豪華なのである。
 ベッドルームが2つに応接セットのある部屋、洗面所に更に豪華な風呂、この風呂も、お湯を張ってはいれる浴槽とガラス張りのシャワールームが別なのである。
上:地元産の白ワイン
下:夕食のメインディッシュ

 窓の外はアヴィニョンの城壁がずっーと続いている。
 このホテル建物自体が2階建てで大きな建物ではないので見晴らしの良さは別としても、ライトアップされたアビニョンの城壁やその上に造られたかつての監視塔を眺めつつ地元産の赤ワインを飲むのもなかなか良い気分である。
 夕食は7時から、ホテルの別棟にあるレストランにて夕食会。
 ここでは白ワインをボ トルで注文する、ウェイターからハウスワインで良いのかとの確認があり即「OK」。
 食事時間にツアーの皆と話してみるとホテルに戻ったあと、時間が大分あったので再度街に出て、サン・ヴェネゼ橋まで行って来たという。
 今日は結構な距離を歩いたので、疲れきっているのではないかと思っていたが、みんなの凄い体力と気力に驚愕したのである。
 良く考えてみれば、18人のツアー だけど、明日オプションツアーをせずに、1日フリー にするのは我々を含めて3組6名だけである。12名はスペイン国境近くまで行くとのことで、朝8時から夜の8時までそれで12時間を費やすことになる。
 今回の旅行に来る前に、最後の1日くらいはゆっくりと、フリーで過ごしたいと思ったので、たまたまそれがアビニョンであった。
 そのためアビニョンの2日目の行動をオプションツアーとせずに自由行動にしたのである。
 ただ心配なのは、見知らぬ土地で「言葉」が分からないことである。
 そんなことを妻と話しながら、たっぷりのワインを楽しみ、部屋に戻って、爆睡。

アヴィニョン2日目

 午前6時に目が醒める。まだ、空は暗いが、天気は抜群の様だ。
 8時少し前にレストランにいくと日本人は我々だけである。
 野菜サラダにトマト、チーズ、コーヒー、ヨーグルト、トーストの朝食。  朝食後は部屋に戻らずそのまま、外出。
サン・ヴェネゼ橋から

 地図でアヴィニョンの城壁内の通りを細かいところまで昨夜調べて記憶しているので、迷うことはない。
 もし迷っても、ぐるりと回ることで、必ず街を貫くメインストリート(レピュブリック通り)に出るのである。
 最初に行ったのは、もちろんサン・ヴェネゼ橋。
 昨夜、皆の話を聞いていて、今日は絶対に最初に行く場所と決めた場所である。
 ついでに言えば、泊まっているホテルからこのサンベネゼ橋が一番遠い場所で、ここに最初に行くことで、後はホテルに向かって見学をしながらゆっくりと帰ってくれば良いわけだ。
 橋に入るために、チケットを買うと、係りの女の人に、どこから来たのか聞かれたので、「Japan」と答える。
 すると少し待てという。しばらくして奥からからかなり大きいハンドセットを2つ持って来た。
 そして、これを使えという。
 1台づつ借りて、ハンドセットに組み込まれた案内にしたがって操作する。
 すぐにサン・ヴェネゼ橋に関する日本語の解説が流れるのである。
 この解説を聞きながら橋の観光を楽しむとたっぷり1時間は必要となる。
 ハンドセットを耳に当てながら、サン・ヴェネゼを少しずつ先端に向かって歩いて行く。
 わずかに立ち込めた朝靄に太陽があたり、その中をローヌ川は滔々と流れている。
 10時過ぎくらいまでこの橋には観光客がいなくて、我々の貸し切りの状態になっている。
 静かでゆったり感覚で川の流れとサン・ベネゼ橋を楽しむことが出来た。

 橋から城壁をくぐり抜け市内に戻る。
プチパレ美術館

 次に行く場所は法王庁の左隣にあるプチパレ美術館である。
 ここにはボッテチェルリの「聖母子」像があるのだ。
 以前から是非見たいと思っていたもので、もしもアビニョンにいくことがあれば絶対にこれだけは逃すまいと思っていたものである。
 が、それがどこにあるのかは不明なのである。
 この美術館はほとんど宗教画で構成されている。
 そのため多くの聖母子像がある。
 順路にしたがってどんどん行くのだが、ボッテチェルリにたどり着いたのは入館後約1時間程度経った頃であった。
 展示室の多くは必ず1人、説明者兼監視人がいる。
 が、この絵だけには、1枚の絵に1人の監視人がついていたのである。
 ボッチェチェルリの聖母子像は他の母子像の絵とは全く違うオーラを発しているので直ぐにそれと分かったのだが、残念なのは、この美術館も写真撮影が禁止されていたため、これらを写真に撮ることは出来なかった。残念。
 全部の見学を終えプチパレ美術館の外に出ると、それまでの中の重たい宗教画の世界とは違って、明るい太陽が燦燦と輝き、さわやかな青空のもとのアヴィニョンに戻るのである。

アヴィニョンのメインストリート

 時計は12時近くになっている。
 とりあえず、おいしいものを探しにアヴィニョンの公設市場に行ってみようということになった。
 地図は頭に入っている。
 プチパレ美術館から法王庁前を通ってメインの通りに入る。
 市庁舎を少し先に行った所で左に曲がり、あとは道なりに行けば右側にあるはずだ。
 10分とかからないうちにLes Hallesと書かれた公設市場に着く。
 ここは午前中だけしか開いていないということだ。
 ところが12時過ぎに行ってもまだまだ多くの店は開いている。
 肉屋、八百屋、果物専門店、魚屋等々食品関係の店が目いっぱい軒を連ねている。
 それぞれの店の前に立つと、そこにある商品全部を買いたいという欲望に駆られるのであるがそんなことはとても出来ない。
 最初に買ったのは、栗虫入りのチーズである。店の親父さんはやたらに「special ×▽?◆」と叫んでいるが、何を言っているのか意味が分からず、強硬に購入する。

 オリーブオイルなどもいろいろな種類があって、見るだけでも楽しい。
 妻は、と探すと、果物屋で、梨とリンゴ、プラム等をかごに入れて買っている。
 あした日本に帰るというのにどうするの! と思いつつもつい協力してしまう。
 ここで、好き勝手に買い物をして、メインストリートもどった時には既に午後1時を回っていた。

 さすがに空腹を抱えての散策はままならない。
 食事場所を探してメインの通りをさまよう。
 といっても、ほどんとメインの通りはレストランやブラッセリで占められているので、どこに入るか決めれば良いわけであるがそれが決まらない。
恐怖の「Plat du Jour」の看板
右下のオレンジは9ユーロと言うことらしい
 で、以前から、このような場合、「今日のお勧め」という看板を探してそれを注文すると失敗はしない、と言われていたことが頭の片隅に残っていたので、それを思い出した。
 ところが、ここで問題になるのが「今日のお勧め」というフランス語が分からないことである。
 それでも図々しさとあてずっぽで「Plat du Jour」という言葉がその意味だと信じて、店を探した。
 ところが、同じ言葉を店の前の黒板に書いてある店が実に多いのである。
 この単語を見つけながらレストランがある中央通りをほぼ1往復した。
 が、納得出来る(この単語群は書いてあるのだが、その下にやたらにいろいろな単語が書いてあるのである。多分、料理の名前なのだろうけど、残念なことに書いてある単語の意味が分からないのである。フランス語の辞書を持っていく必要性を感じた。)店がない。
 それでも、店を選ぶ基準として「直射日光にあたらないこと、簡易のテーブルやイスでない所」として、料理の内容は考えないことにした。
恐怖の「ウサギ肉の赤ワイン煮」
 価格は大体似たり寄ったりで8ユーロから10ユーロ程度である。
 結局、中央にある緑色で装飾した店に入り、直ぐに今日のお勧めを2つ注文した。  同時に500ccの生ビール2つも頼んで、ビールを先にと注文した。
 妻とビールで乾杯をした直後に、料理が出てきたのだが、とっても匂いが強い。
 なにか動物の骨付き肉であることはわかるのだが、これをレバーペーストで煮込んだような色と香りと味である。
 これが日本でいえば「ヒモカワ」のような平らな麺の上に乗って出てきたのである。
 麺=パスタの味付けは決して悪くない、本当に美味いのである。
 しかし、この肉とそれを煮込んだソースなるものが、一言でいえば「凄い」のである。
 妻は恐る恐る食べながらこの肉は「こうもり」ではないかと言い続けているし、自分は「鳩肉」ではないかと言う。
 食べ出したころは「とても不味い。」という感じで全部は食べられない、と思ったが、これをビールを飲みながら、食べ続けているうちに段々と「うま味」を感じてしまうのである。
 結局、ビールが足らず、と言う状況で2杯目のビールを飲みつつ、二人ともこの料理をぺろりと平らげてしまった。
 食べながら後半からは「これ、相当美味いね!」と言い合いながら食べてしまったのである。
(日本に帰ってきて、写真に撮った看板の単語を確認したところ、「鳥の巣状にしたパスタとウサギの赤ワイン煮」であることが判明。ウサギを食べることは初めての経験であり、実に貴重な体験をすることが出来た。なんとなくウサギを一羽、二羽と数えるのがわかったような気がした。)

 そして、その後も夕方まで本を買ったり石鹸を買ったり、美術館を見たりしながらアヴヴィニョンを楽しんだ後、ホテルに戻った。
 夕食は、アヴィニョンの町で手に入れた、焼き立てのパンと果物、そして昼間市場で手に入れたチーズなど、さらに言えばパスティス等のアルコールも楽しんだわけだ。

 最終日は、午前4時に起床。
 真っ暗な中、午前5時にマルセイユ空港に向けてバスで出発した。
 6時40分の国内線でマルセイユからパリへ(この時間でもまだかなり暗い。)。
 結構あわただしい時間ではあったが、パリのシャルルドゴール空港についてなんとなく落ち着くことができた。
 そしてパリでは約3時間の待ち時間があった。
 ここで残っているユーロを全部使い切るため、空港内のあちこちの店を楽しみつついろいろお土産を購入して回った。
 最後にポケットの残ったのは、コインだけで10ユーロ程度。
 これは幸運のコインとして、そして次にフランスに来れることを期待して大切に持ち帰った。  

(完)